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ドナルド・ショーン『専門家の知恵〜反省的実践家は行為しながら考える』

専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える

専門家の知恵―反省的実践家は行為しながら考える

・メジャーな専門:医学、法律
・マイナーな専門:社会福祉、図書館業務、教育、神学、都市計画
変わりやすい曖昧な目的に悩まされ、実践では不安定な制度的文脈にわずらわされている。

・科学的探求の核心は、競合する説明理論の中から正しい説明を選ぶために決定的な実験を行うことにあった。/このような実証主義の教義からみると、実践は不可解で特異なものとして現れる。実践的知識はたしかに存在する。しかしそれは実証主義のカテゴリーにきちんとあてはまるものではない。私たちは実践を世界についての記述的知識の一形態として容易に取り扱うこともできないし、論理学や数学という分析スキーマに実践を還元することもできない。p.44

・「技術的合理性」の視点からみると、専門家の実践は問題の「解決」(solving)の過程である。選択や決定という問題は、すでに確立された目的にとって最適な手段を利用可能なものの中から選択することによって解決される。しかし、この問題解決をいくら強調しても、問題の「設定」(setting)は無視されている。手段の選択、達成する目的、意思決定という問題を設定する過程が無視されているのである。p.56

・専門家は、この種の不確かな状況が実践にとって中心的だと次第にみなすようになってきた。問題の設定は技術的な問題解決にとって必要条件であるけれども、それ自体は技術的な問題ではない。……問題設定は、注意を向ける事柄を名づけ(naming)、その事柄に注意を向ける文脈に枠組みを与える(framing)ことを相互に行う一つの過程である。p.57

・サイモンは、自然科学とデザインの実践との間のギャップをデザインの科学で埋めることを提案した。けれども彼の科学は、実践状況から事前に引き出される構造化された問題にしか適用できないものである。p.72

・科学哲学者の間では、実証主義者と呼ばれたいと思うものは、もはや誰もいない。そして、わざ、芸術的技法そして神話のような、古来のトピックへの関心が再び生まれている。それらは、実証主義が封じ込めるべきものとかつて主張した運命を持つトピックである。……実践において実証主義の見解の有効性に限界があることを認識した時、厳密性か適切性かというジレンマを経験することになる。p.74

・行為の中で省察するとき、その人は実践の文脈における研究者となる。すでに確定した理論や技術のカテゴリーに頼るのではなく、独自の事例についての新たな理論を構成している。彼の探求は、その目的について、あらかじめ一致が見られる手段について考察するにとどまらない。彼は手段と目的を別々にしておくのではなく。問題状況に枠組を与えるように目的と手段を相互作用的に規定する。p.119

・反省的実践かは、クライアントに対して「ブラック・ボックス」に盲目の信頼を持つよう要求するのではなく、実践家のあるがままの能力の事実に開かれていることを要求する。……このように、実践家とクライアントとの反省的な契約においては、クライアントは
実践家の権威を承認することに同意するのではなく、専門家の権威への不信を留保する。p.148

・専門家コミュニティが、問題と役割の構成に適切なフレームとして適用される複数の葛藤するアイデアを具体化する時、その専門職の実践者、教育者、学生はジレンマに直面することになる。それらのジレンマを考慮することなく、そのコミュニティのメンバーになることはできない。p.178

・伝統的に、実践に対する代替的なフレームや価値やアプローチについての議論は、それぞれの思考を主張する学派の代表者たちの間の論争のかたちをとって、専門家コミュニティの中に現れる傾向にある。p.180

・「ホーソーン効果」は不可避である。研究者は自分自身を除くことはできないし、実験の社会的文脈に対する寄与を無視することは出来ない。ジェフ

・ヴィッカーズの言葉だが、研究者は、自分が理解しようとしている現象に対する自分自身の影響に気づかねばならない実験の当事者なのである。p.201