KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

引き金とあなたとの関係

5月にはいる。あさってから4連休か。

科研報告書の原稿を書かなくてはいけないが、自分の報告書はすでに印刷所回しになっているので気が楽だ。

なんやかんやいって、原稿を依頼されることが増えてきた。評論家のようなことはいいたくない。とはいえ、すべてのことを体験できるわけでもないので、ある程度は本や論文を読んで、自分なりの考えをまとめておかなくてはならない。原稿依頼が来たら、ちょうど考えをまとめるための良い機会だと思って取りかかるのがいいだろう。

与えられた仕事、やらなくてはいけない仕事というのは気が重い。与えられた仕事に対して、どれだけ積極的な意味づけを加えられるかというのはある種の能力だろう。

やらなければならない仕事が外からやってくるから私は仕事をする。その意味では、仕事が私を働かせるのだ。だけど、その仕事に対して「やる?やらない?」と自問して決断するのは私だ。そこのところが重要だ。タマを込めることは他人でもできる。しかし、最終的に引き金を引くかどうかを決めるのはあくまでも私自身だ。

それを、「本当に引き金を引いたのは自分自身だと言えるのですか?」という問題設定をすると、違う世界に入っていくのだ。

引き金を引くのは自分だということを疑わない(前提)とすれば、かなり明確な世界が描ける。また、引き金を引くのは完璧に自分じゃない(自分以外の環境)とすれば、それもまた整然とした世界観だ。しかし、引き金を引くのは、引き金とあなたの指との関係で決まる、と言ってしまうと、異次元の世界に迷い込むことになる。おそらくそれが真実に一歩近いのだろうけれども。