KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

個性なんか出したくない

IDをめぐる会話:

IDは基盤だよね。IDだけで教授学習が成立するわけではなくて、その上に現れてくる教える人のパーソナリティが重要。パーソナリティが学習者に信頼されていなければ、そこから学ぶことはないでしょう。

なるほど。とすれば、IDは「書き方」の5段落構成みたいなものだ。きっちりとした形式があって、その上に個性が花開く。土台のない個性は、個性の名に値しないように、IDという土台のない教授行動も無意味だ。

私はいつも「ロボットのように教えたい」と願っている。それはIDという土台だけで教えたいのだな。だけどいくらロボットのように教えたいと願っても、私という個性が出てきてしまう。

個性なんか出したくないんだ。なぜなら、それは教えることの目的ではないから。学習者が目的としたことを学ぶことこそが最終目標なのであって、その途中の教授過程に出てくる教師の個性なんてものは、エンジンを回したときに出る排気ガスのようなものだ。エンジンをどううまく回すかということだけが重要なのだと思う。