KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

塚本茂『グループホームケア』

グループホーム・ケア-痴呆を治す介護の実践-

グループホーム・ケア-痴呆を治す介護の実践-

著者から献本いただきました。ありがとうございます。早稲田大学第一文学部の先輩で、現在eスクールの学生でもある著者から献本されなければ、おそらく手に取ることはなかった本だが、読んでみてぐいぐい引き込まれる面白さを味わった。

グループホームという高齢者介護の新しい形が日本でも広まりつつある。この本はグループホームのひとつ「和笑庵」ができるまでとできてからの三年間を丹念に追ったものだ。痴呆介護の問題をとらえなおし、新しい問題提起をしている。

そもそも徘徊とは、第三者から見ればそう見えるのであって、当事者の高齢者からすれば、それは徘徊ではなく、ある目的を持った行動とも言える。

徘徊の場合は、ある程度、やりたいようにやらせるが、トイレと風呂の勘違いは絶対に許さない。それを許すことは、人間としての尊厳を傷つけることにほかならないという人間観からなのである。

若林に言わせれば、人は生きている限り、何らかの役割を持っているし、その役割を果たすことによって落ち着くということである。

その底流にはたとえば「鬱病に陥った高齢者の症状を治すには、鬱を起こさせている人間関係を変える以外にない」という考え方が流れている。これは、第三章でも紹介した「生活とリハビリ研究所」代表の三好春樹の説く「関係障害論」という理論に根ざすもので、「高齢者の鬱症状は、決して薬の投与などで治るものではなく、むしろ高齢者を取り巻く人間関係をより豊かなものに変えることによってしか治らない」という人間観に立ったものでもある。

引用したようなとらえ方は、「個人の主体性、目的論、全体論、対人関係論」というような基本前提を持っているアドラー心理学に良く合致している。そこまでいわなくとも、最近の心理療法の方向性と合致していると言えるだろう。また、つい自分の興味から教育の諸問題にも重ね合わせることができるのではないかと、この本を読みながら思った。