KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

大福帳のコミュニケーション

こちらの働きかけに対して相手が適切に反応してくれないと、コミュニケーションを続けられないのですわん。大福帳の評価が高いのは、授業という知的な事柄のコミュニケーションも、そういった情動的なレベルのコミュニケーションが成立していないとしんどいということなのかと。

人数の問題ですけど、少ない人数だったら大福帳以外にもコミュニケーションの取りようはありそうですわねん。大福帳がいちばん生きるのは、大人数の講義科目で顔と名前がなかなか一致せず、相手を個体認識したコミュニケーションが取りにくい場合なのではないかと思うのですが、でもそういう場合は今度は答えを書くのが大変になる。う〜ん、という感じですわん。

こうしたコミュニケーション学的な分析は面白いです。たしかにその通りかも。せっかく大福帳に書いても返事が来なければ、コミュニケーションを続けるのはしんどくなる。しかし、何百枚もの大福帳ひとつひとつに返事を書くのは至難の業です。そこが大福帳のジレンマでもあります。

大人数のクラスでも使えるのが大福帳の良さのひとつです。ただ、発案者の織田揮準先生は100人以上のクラスで使った報告は書いていなかったように記憶しています。それをあえて使ったのは私の授業のケースです。100人以上になると、大福帳の返却にもちょっとした混雑が発生します。

こうした課題に対しては、教育学は「コミュニケーションを目的としているなら教員は当然すべてに返事を書くべき」と回答するでしょうが、教育工学は「どうやってバランスを取ればよいか」という方向性で検討するでしょう。

付け加えるとすれば、大福帳は、教員に回収される質問書とは違って、受講生の手元に残り、簡易的なポートフォリオとなりますね。これはレポートを書いたりするときに実質的に役立つようです。また、教員にとっては、大福帳に目を通すだけで、受講生の受け取り方や姿勢が全体像としてはっきりわかってしまうので、その後の授業の仕方に影響を与えないわけにはいかないということもあります。