KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

『無着成恭の昭和教育論』

無着成恭の昭和教育論―仏教徒として昭和を検証する

無着成恭の昭和教育論―仏教徒として昭和を検証する

今年の日本アドラー心理学会の総会は大分で開かれることになっていて、その講演者として無着先生が招かれています。ので、その予習としてこの本を読みました。

無着先生によれば、日本の戦後社会と教育にとっての決定的な転換点は、1961年の「農業基本法」と「全国一斉学力テスト」であったといいます。農業基本法によって日本は農業国家であることを止め、産業国家になることを決めました。それは、労働力を工業生産に集中することであり、それによって教育もまた経済成長に必要な人材の開発ということに政策の舵がきられます。全国一斉学力テストによって、勉強のできる子とできない子を選別し、経済社会の主導層と労働力とに配分されることになります。この時点で学校教育は競争と序列の体制に入ることを余儀なくされたといいます。

その人でなければならぬ、交代できぬ部分、つまり、人間存在のレベルに教育の目的があった。ところが、計量化・数量化のできない個性を育てるなどということが無視されて、点数で数量化できるレベルに教育の目的がしぼられるように逆転した。それがテスト体制による現代の教育を生み出したのである。

この本では、山形県山元中学校と明星学園での無着先生の授業の様子を見ることができます。前者では、生活綴り方の授業、後者では独自の「にっぽんご」の授業。驚くのは、その教え方がめちゃくちゃ科学的なことです。それは何をどういう順番で教えていけば誰もが理屈の通った理解とスキルを身につけることができるかということをきちんと分析しているということです。そしてさらに驚くことは、その科学的な教材と教え方をもって、実際に行われる授業はヒューマニスティックであるということです。

授業では、教材や教え方などのリソースレベル・システムレベルと実際に授業者が行うインプリメントレベルでは隔絶があるということを感じていますが、科学的な教え方でヒューマニスティックな授業がされたという希有な例ではないかと思いました。