- 日本認知科学会「教育環境のデザイン」研究分科会研究報告, Vol.11, No.1, Pp.1-10.
授業のはじめに「これから話す内容をどれくらい理解できたか、あとでテストします」と宣言することは、その後の学生のレクチャーの聞き方の方略に影響を与えることは明らかです。学生はお気に入りのところをノートするのではなく、テストに対応したノートの取り方に変更するでしょう。
著者は、心理学基礎実験の実習型授業を、学習コミュニティを作ることを重視し、メーリングリストをツールとして使うデザインに変更しました。その結果、メーリングリスト、メール、面談などのコミュニケーション経路を利用するものはどれもよく利用し、利用しないものは全く利用しないことが可視化されてしまったことに気づきます。
メイリングリストは、学生を学習資源の頻繁利用者とそうでないものに分け、可視的にした。そして、デザイン前には存在しなかった「出来る」「出来ない」という見えを意図せず作り、さらには、教員に対する「態度」までも可視的にしたと考えられる。
そして次の考察に至ります。
「すぐれた授業」は「すぐれた授業」に乗れる子だけを集めている。仲間作りみたいなもの。学派作り。講義は仲間探し、学派作りだということ。最大多数の最大幸福のジレンマの教育バージョン。これは同時に最少数の最大不幸が発生することを意味する。
その解決として学習環境の「ユニバーサルデザイン」を考えますが、それは同時に、
みんなが取り組めるデザインはすばらしい。同時に私は私のデザインに深く呼応した特別な学生を特別に育てたい欲求がある。事実上、不参加者はそのための捨て駒になることすらあり得る。
そうすると、デザインの根拠となるゴールの設定の妥当性こそが重要です。それは専門家が決めるのか、社会文化的な文脈から判断されるのか、いずれにせよ何らかの根拠が必要となってくるでしょう。
授業における最終的な評価やフィードバックが、その前の活動形態を規定し、先頭までさかのぼっていくことは、私も次の論文で指摘したことがあります。