- 作者: 久保斎
- 出版社/メーカー: 子どもの未来社
- 発売日: 2005/03
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (4件) を見る
少々わからなくても、よくわからない子にはよくわかっている子のいう意見を聞き、「ふうん、なるほど」と考える権利があります。よくわかった子にもよくわからない子の意見を聞き、「へー、そんなふうにまちがえるのか」と考え自分の脳を鍛える権利があります。学校とはそんなところなのです。
まっとうな内容だが、今の時期、逆に新鮮な本。そのまっとうさは、次のようなところ:
- 授業時間は先生が仕切ります。遊び時間や放課後は君たちの時間です。自由にどうぞ。
- 教師は、学力と人格の「研究者」ではなく、「生産者」である。生産者ならば生産者らしく、学力と人格について論じる独自の視点や土俵を持ち、そこに保護者や学者や世間の人々を導き入れて、学力と人格の生産者としての話を語るべき。
- 子どもたちは教師の指導にしたがって活躍して初めて、自分の価値に気づきます。
- 授業のなかで教師と子どもの信頼関係をつくる道は一つしかありません。それは淡々と正しい評価を繰り返すことです。
- 子どもの興味などという欺瞞に満ちたややこしいことをいわず、あっさりと教師が課題を与えるべきだ。教師が与える課題には子どもの興味も内包されている。
「発問・板書・ノート指導は一斉授業の三種の神器です」という。大学であれば、さしずめ「テーマ設定、スライド、レポート」に相当するか。
学ぶ形態として個別を選ぶなら、その形態を最大に活かすようなインストラクショナルデザインをする。集まって学ぶ形態を取るなら、その形態を最大に活かすようなインストラクショナルデザインをする。集まって学ぶ形態には、個別の学びにはないパワーがある。それが冒頭に引用したパワーだ。教室内の子ども同士の相互作用を活かさなければ、教室で教える意味はない。
「ディベートがもてはやされているが、どうでもいいテーマで人の揚げ足を取るような陳腐な取り組みだ」という。しっかりと司会したり、発言できることが大切だと主張する。