KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

津田幸男『英語支配とことばの平等』

英語支配とことばの平等―英語が世界標準語でいいのか?

英語支配とことばの平等―英語が世界標準語でいいのか?

英語ができれば、金持ちになれる。がんばろう。
(クレイジー・イングリッシュの李陽)

「英語=世界標準語」の世界になると次の問題が引き起こされるとして、詳しく論じている。

  • コミュニケーションの不平等と差別が生まれる
  • 少数言語の衰退に拍車をかける
  • 世界文化の画一化につながる
  • 「情報リッチ」と「情報プア」を生む
  • 「英語神話」による精神支配
  • 英語支配の序列構造

電車の中の広告でも、テレビCMでも英語学校が盛況だ。日本の英会話市場は年間5兆円といわれ、世界の英語産業の半分は日本にあると言われている。こうした状況は1975年にダグラス・ラミスが『イデオロギーとしての英会話』の中で指摘して以来変わらず、徐々に進展してきた。そして、英語教育の小学校への導入の議論につながっている。

クニュガさんはもうすでに英語を公用語にしたケニアでの経験を話している。

ケニアでも40年くらい前に現在の日本と同じような討論がありました。ケニア政府もいまの日本人が望んでいるように、市民に英語を話せるようになって欲しかったのです。始めに英語を習った世代、つまり私たちの両親の世代は政府が期待していたとおりに英語がうまくなりました。それでもケニアの文化や言語を失っていません。しかし最近の若者は英語ばかりを使い、母国語を話せない若者が増えてきました。この状態は知らず知らずのうちに起こってしまったのです。……そして英語の影響は非常に強くて、仕事場でも、学校でも、マルチメディアでも、英語が普通に使われるようになってきました。やはりこのような状況で育った若者は母国語を話せなくなってしまいました。

著者は実行可能な対応策を提案している。

  • 日本では日本語を使う。それは英米人の「英語信仰」を崩し、日本人の「英語信仰」を克服できる。そのことで対等な関係が築ける。どうしても英語を使わなければならないときは「便宜的に、その場限りの媒体」として使う。
  • 英語教育を縮小して、日本語中心の教育にする。教育の中核に日本語を据えることで、言語的主体性を回復する。大学のカリキュラムで「日本語」を必修にする。
  • 英語を公用語にする必要はない。

さらに、国際的な取り組みとして次の試案を出している。

  • 英語税を導入する。トービン税(国際金融取引に税をかけ、貧しい国に再配分する)に倣って、国際的に使われる英語に課税し、それを少数言語の復興やコミュニケーションの平等のために還元する。
  • 英語教育を無償にする。50億人の非英語話者がお金とエネルギーを使って英語を学ぶ一方で、英語を使うことで利益を得ているのは、5〜10億人の英語話者であるという現状は不平等である。英語話者は英語を教えることで一切の経済的な利益を得ないことを国際協定にするべきである。英語のネイティブスピーカーは全員ボランティアで英語を教えるべきである。
  • 国際コミュニケーションでは誰もが必ず外国語を使用することを義務づける。このことでハンディキャップが平等化される。さらには、外国への無関心が解消され、外国文化への敬意が育つだろう。

この最後の提案では、エスペラントが選択肢としてあってもいいだろう。これは私の提案。