KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

誰にでも「負けたい心」が存在する

ゲームをやっていれば、誰でも「勝ちたい」と思っているはずだ。同様に、仕事をしていれば、誰でも「うまくなしとげたい」と思っているはずだ。

ところが、Gallweyは「セルフ1には、負けたい心が存在する」と言う。もちろん「勝ちたい心」の方が占める割合は大きい。しかし、「負けたい心」も一定の割合で存在する。たとえば:

  • ここで勝ってしまうと、この次はもっと期待されるだろう。それは重荷だ。
  • ここまでうまく行きすぎている。私がこんなにうまく行くのは変だ。
  • ここで全力を出し切って、もしも負けたなら救われない。

こんな考えが、心の片隅にある。誰にでも。

たとえば、サーブを打つ。すばらしいボールで、サービスエースをとった。「こんなにいいサーブがはいるなんて珍しい」と自分が思った途端に、次はダブルフォルトだ。次も同じようにサーブを打てばいいのに。何も考えずに!

「勝ちたい心」が10あるなら、「負けたい心」は3くらいある。そして、勝っても負けても「カッコ良く見せたい心」は1くらいある。誰も見ていないのに!

こうした心がプレイのベクトルをぶれさせる。本当に「うまくなしとげたい」と思っているなら、そのためにやるべきことをやればいいだけだ。だけど、「失敗したい心」が少しだけある。それは、自分への言い訳を考える「セルフ1」が活躍しているのだ。

そして、セルフ1と対話しはじめることで、パフォーマンスは落ちる。そんなムダなおしゃべりは必要ないのに。集中するということは、おしゃべりをしないことだ。