KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

なにを書くにしても、自分の無能の証明として書いていればラクだということだ。

論文や本の原稿を書いていて、ときどきこんなふうに思ったりする。なんだか自分の無能の証明として、これを書いているんじゃないか、と。こんなに当たり前にみえることがいまだにきちんと証明できていない。原稿を書くのは、この「できていない」ということを公表するためなんじゃないか。

まあ、ネガティブだけど、こんなふうに考えることの御利益も、あることはある。それはなにを書くにしても、自分の無能の証明として書いていればラクだということだ。逆に、自分が有能であることを証明しようとすると、怖くなってしまって、書けなくなるんじゃないだろうか。書けないで困っている人は、自分が有能であることを証明しようとしていないかどうか、自分で振り返ってみるといいかもしれない。

自分の無能の証明としてこれを書きました。o(^▽^)o