KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

Webベースによる情報の個人的管理

 来る21日(水)は、新潟に出張の予定。新潟県教育センターというところで、高校の国語担当の先生を対象に講演をする。もし、新潟市在住の方で、これを読んでおられる人がいたら、晩ご飯でもいっしょにいかがですか。てなことを書いておいてみる。ダメもとで。

 富山県新潟県とは隣接する県だが、富山市から新潟市までは遠い。高速を使っても4-5時間はかかるのではないか。富山市から上越市までなら、割と気楽な道のりだ。しかし、地図で見てみると、富山市新潟市のちょうど中間あたりに上越市があることがわかる。それだけ新潟市は遠いということだ。

 さて、昨日、仕事日記をなぜWebに書くのかということについて書いた。要するに、読み返してもあまり役に立たないメモではあるけれども、それを書くことによって仕事のきっかけやペースができるという御利益があるということだった。

 で、もうちょっと考えてみた。私の場合、Webページを自分のノート代わりに使っているのではないかということに思い至った。

 私はよくメモを取る方だ。それは一種の職業的な習慣だ。相手の話を聞きながら、それとはまったく無関係な思いつきをメモに取っていることもあるが、それでも相手はこちらがメモを取ることによって、熱心に話してくれる。人の話を聞くときは、ポーズだけでもメモを取るふりをした方がいい。

 しかし、そうやって取ったメモはたいてい活用されない。メモは整理されることなくバラバラに散逸してしまって、わからなくなる。メモはそこいらにある、ありあわせの紙の裏や余白にすることが多い。そしてたいていはそのままである。それでも『マイブック』を使うようになって、少しましになった。とりあえず、そこにメモすることで位置は確定できる。しかし、それを活用するということについては、まだ改善の余地がある。

 そこで、メモをとりあえずWeb上に転記しておくことを考える。どんなメモでも、そこにあるということがわかっていれば活用のチャンスが出てくる。仕事日記を書くということは、役に立つか立たないかよくわからないような情報を毎日一元化しておくということだ。これを大げさに「Webベースによる情報の個人的管理」と呼ぶことにしたい。なんのことはない、Webを個人用ノートに使っているということなのだが。

 仕事日記をつけるのはいいのだが、それには別の副作用があることがわかった。それは不完全ながらも、私が今どんな仕事をしているのかをうかがうことができることだ。第三者には私がどんな仕事をしていようが、まったく関わりのない話だ。しかし、たとえば私に原稿を依頼した人にしてみれば、私がちゃんと原稿を書いているかどうかは、チェックすべき重要なことがらになる。

 その人が依頼された原稿をちゃんと書き進めているかどうかは、通常外からはわからない。しかし、もしその人が仕事日記をつけているならば、それを読むことであたりをつけられる。そして、締め切りが近づいても、原稿に手を着けていないということがわかったら、そしらぬふりをして、原稿の催促ができるのである。