KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

【研究】JSAP論文の書き方講座最終回:一事例の研究

2023年7月4日(火)

日本アドラー心理学会の論文の書き方講座は全3回で、先週は最終回であった。今年度はエスノグラフィーのアプローチから入って、研究に仕立てるということでやってきた。

普通の人がエスノグラフィーをやろうと思ったら自分の身近な人、つまり家族が一番とっつきやすい。これを家族エスノグラフィーと呼びたい。これを研究にすることだってできるのだといいたいのです。

最終回ではできるだけ具体的な例を取り上げたいと思っていた。その実例は面白いものだった。

1つは、妻と夫の会話の例。妻が歯を磨いているときに夫が話しかけてきて、妻は歯を磨いている途中なのでうまく返答ができない。そうすると夫は「お前の言っていることはいつもモゴモゴしていてよくわからない」と言う。それを聞いてイラッとしたというエピソード。

こんなささいなエピソードでも日常的に観察したり記録したりすることで研究になる。夫が話しかけるときはどんな状況が多いのか。妻が歯を磨いていたり、ご飯を口に入れているときだったり、電話に出ているときだったり、つまり、うまく返事ができない時が多いのか。もしそうなら、妻の状況がうまく返事できない状態である時を選んで話しかけているのかもしれない。その無意識の目的はなんなのか。こんなふうに展開できれば面白いエスノグラフィーになる。

もう1つは、自分の息子が予備校の寮に入って、自宅での生活から離れた一年半が経ち、戻ってきたら、大変化を遂げていた(「勝手に大人になっていた」と表現)と言う話。

これだって研究になる。自分(母)が寮に押しかけて観察することはできないので、事後のインタビューという形になるけれども、寮生活の間にどんな出来事があり、自分の行動や考え方がどのように変わったのかということを深く聞いていけば、自宅生活では起こり得なかった変化の要因がわかるかもしれない。

こうした研究は、一事例なので、こんなのでも研究になるのかという人がいると思うけれども、なります。研究は常に最初の一事例から始まるのです。むしろ、一事例からわかったことを説得的に表現するために、研究という形式を取るのだと考えた方がいい。上のような事例は世間話で終わることがほとんどで、「そんなこともあるよねー」が結論になる。それを普遍化するために、わざわざ研究という形を作るわけだ。