KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

入試データ処理のミスとシステム

盛岡で、研究会に参加し、仕事をしてきた。一泊して戻ってきた。

その間に、富山大学人文学部でのデータ処理ミスとその隠蔽が報道された。続いて、教育学部でのデータ処理ミスについても公表された。私は教育学部の所属である。他人事ではない。ミスを隠したということについては、時代遅れの感覚によるまずい対応であった。被害を受けた受験生については、学部教員の1人としてお詫び申し上げたい。隠蔽については、文部省も調査するということなので、どういう処分がなされるかについての結論を見守りたい。

しかし、重要なのは処分することではなく、そのようなミスをどうやってなくすかだ。そのためには、どういうシステムが必要なのかを考えることだと思う。現行でも、二重三重のチェックが働いているはずなのだが、その後報道された、金沢大学理学部での入試ミスを見ても、うまくいっていないことが推測される。

科目が増え、選択の組み合わせが増え、さらに、科目ごとに傾斜配点をしたり、高得点の方を取ったりするという煩雑な処理が、担当者にかかってくる。プログラムそのものは複雑ではないが、煩雑な処理が学科や専攻ごとに出てくる。しかも、毎年のようにくるくると変わる場合もある。私はよく主張するのだが、入試に限らず、テストというものはシンプルな方がいいのだ。しかし、現状はそれと反対の方向に進んでいる。それは「受験生のため」という名目で行われることが多いのだけれども、複雑な入試制度が本当に受験生のためになっているのかどうか。検討する必要があるだろう。

私個人としては、究極的には「無試験入学」を押し進めたい。そうすれば、「入試ミスは起こりようがない」という良い副産物も出てくる。

最後に、私の思いとぴったり一致した意見として、ShiroさんのIsland Life(6/17)を引用させていただきたい。

最近相次いで発覚した大学の入試得点の集計ミスは、 私もプログラミングを生業としているだけに、他人事とは思えない事件である。 起こったことそのものは単純な情報伝達のミスだが、このようなパターンのミスは 非常にありふれた話だからだ。「これはバグじゃないか」と指摘を受けて 調べてみたらいつのまにかルールの方が変わってたという経験は私にもある。 ただ、多くの場合、それが人の一生を左右するような結果に結び付いていないだけだ。

入試得点の集計というのは、仕様(入試制度)が頻繁に変わるためバグの入る余地が 大きいのに、年に1回しか使われないからバグが発覚しにくく、しかも結果が人の人生にかかわるという、 自分も間違う可能性を認識しているプログラマにとってはイヤなアプリケーションであると思う。

人間が作るものである以上、ミスが入り込むのは避けようがない。 どうやったらミスを早期に発見し修正するかを考えた方が良い。