KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

相手が一人か二人というのが好き

毎日暑い。この暑さの中で、昼休みにはバドミントンをやっている。締め切った体育館の中でやるので、サウナ状態だ。それでもやめられない。

「補正項」(7/5)では、釣りが面白くてやめられないことを、行動分析の変動強化ということで説明していたが、そうだと思う。釣れたり、釣れなかったりすることが、ギャンブルなのだ。しかし、単なる運任せのギャンブルなのではなくて、経験を積むほどに大失敗は少なくなる。そのことが面白さを倍加させる。

バドミントンではどうか。これもギャンブルの要素があるので面白い。ダブルスを誰と組むかということで、試合が変わってくる。もちろん、相手のペアが誰なのかということも変動の要因になる。そして、やればやるほど(少しずつではあるが)上達するので、自分がうまくなったということをごくたまにではあるが感じることができ、それもまた好子となる。

上達の実感とギャンブル性との組み合わせで、やめられなくなるようなプログラムを組むことができる。

ところで、スポーツの好みには2種類あるような気がする。ひとつは、山登りやランニングなど、基本的に一人でやることが好きなタイプ。もうひとつは、テニスやバドミントンなど、相手がいるスポーツが好きなタイプだ。

私は完全に後者のタイプだ。誰かと一緒にならば山登りに行くかもしれないけれども、おそらく一人では行かない。

一人ではやらないというのはスポーツに限ったことで、日常生活ではむしろ一人でいることの方が好きだ。また、スポーツでも、サッカーや野球などのようにチームで対戦するというのも苦手だ。せいぜい相手が一人か二人というのが好きなようだ。

そうして考えてみると、論文や原稿を書くときも、ちょうどいい人数があることに気がついた。一人で書くのは苦手である。いや、もちろん書く作業は完全に一人でやるわけだが、初めから終わりまで完全に一人でやるのが苦手ということだ。一人ではなく、二人とか三人で共同作業と単独作業を行き来するのが、自分に一番合っているようだ。ただし、四、五人以上のグループになると、あまり気乗りがしない。これはチームスポーツをするのが苦手というのに対応しているみたいだ。

ときどき、自分は単独行でものごとを成し遂げることがむずかしいと感じたりするときがある。おそらく思いこみに過ぎないのだろうが。