KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

妻に引かれて小田参り

 オーバードホールでの小田和正のコンサートにいってきた。妻が昔からの小田ファンなので、富山にコンサートが来るたびにつき合うのである。前回は二年前であった。

 観客は九割が女性。おばさんが多い。若い女の子はたいてい彼氏を連れてきていて、その彼氏は小田さんにかぶりつきの彼女を横にして所在なげにしているので哀れを誘う。一人で来る男はたいてい頭の薄くなったおじさんである。しかしノリはよい。

 小田和正は徹頭徹尾ナルシストである。そうでなければ、あまり完成度の高いとは言えない自分のデビュー曲を観客と一緒に歌ったり、背景のスクリーンに自分の若いころから現在までの歌う姿を一枚一枚映し出したりはできない。さらには自分をモデルにした映画を自分で作ってしまおうなんて考えない。このナルシストぶりが彼の魅力の根元である。

 小田和正のコンサートにはリピーターが多い。彼が昔の歌を相変わらず歌っているのも、スクリーンに昔の自分を映し出すのも、小田和正の歴史をリピーターのファンとともに共有し、記憶にとどめておこうとする努力なのだ。こうして、毎年コンサート会場はおばさんとおじさんの集団で埋め尽くされるのだ。そして、みんなが同じ記憶を共有していく。

 しかし、コンサートではなんであんなにたくさんのスピーカーを積み上げ、音量を最大にするのだろう。いまでも耳がキーンと鳴っている。観客は残らず一時的な難聴になっているに違いない。オーバードホールはバイオリン一本でも響くように設計されているのだから野外用のPAは必要ないのだ。もう少し音量を絞れば、小田和正のハイノートがもっと美しく響くのに。