KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

私に「裏日記」がない理由

 もともと日記というのは他人に公開しないという前提で書くものだから、それをWebページで公開してしまうというのは、はたから見れば変な行為に映るだろう。「それは露出症ですね」と面と向かっていわれたことがある(北教大の伊藤進さんである)。それはともかく、日記の話題の中身は、自分の身近なできごと、職場や仕事のこと、家族や友人たちのことになってくるのは自然なことだ。私が昔、学生時代にノートに書いていた日記を読み直してみると、ほとんどが研究やアルバイト、友人のことで埋められている。それもグチや他人への非難が多い。この内容ではとても公開できないだろう(もともと公開は考えていないので当然だが)。公開を前提として書いているWeb日記でも、話題の中心が自分の身近なことであれば、それをその登場人物自身が読みに来るというのはネットワークが広まりつつある今では十分あり得ることだ。それで「この日記を友人、知人、同僚が読みに来ているようなので、別のところで裏日記を始めます」と宣言する日記書きがけっこういる。

 裏日記は表日記よりもおもしろい。検閲する身近な目を気にしながら書くものよりも、そうした目を気にせずに書いたものの方がおもしろいのは当然だろう。だからWeb日記愛好者としては裏日記を十分に楽しませてもらえばよい。それにしても、その人が自分の日記を読んでいることがわかった時点で、裏日記を作ろうと決心させるような人というのはいったいどんな人なのだろうか。「○○さん、見ましたよ、あなたのホームページ。いろいろいいこと書いているじゃないですか。うひうひ」とか言ってくる人なのだろうか。

 私の場合、裏日記はない。なぜなら、身近な人や同僚、友人、知人にどんどん読んで欲しいと思っているので、裏日記にする必要がないからだ。身近な人に読まれて困ることは書いていないので大丈夫なのである。ただし身内のことを書くときには注意を払わねばならない。筆が滑ったりするとケンカの元になる。とにかく、誰か一人を悪者にするのを避けることだ。これは身内に限らず成立する法則である。

 身近な人に読んで欲しいと思っているのには、こんな理由もある。日頃仕事をしていていろいろ思うことがある。だいたい7割は他人への批判や不満であり、2割は賞賛したいこと、そして残りの1割は自己反省である(こんな私でも反省はするのだ)。批判や反論したいことがけっこうたくさんあるのだが、面と向かって言いにくいこともあるし、時間がなくて言えないこともあるし、その時は考えがまとまらないこともある。そういうときに冷静な頭になってWeb日記上で批判を展開するのである。もし相手が日記を読んでくれれば一番手間がかからずに私の考えを伝えることができる。しかも、直接相手に向かって言うよりも効果的である。相手が読んでくれなくても「読んでくれ」なんて傲慢なことは言わない。それは相手の自由だからだ。たとえ直接的な効果はなくても、一度文章にまとめておけば同じような状況が再現したときに、今度は手際よく持論を展開することができるので、これは決して無駄なことではない。

 そんなわけで私のページには裏日記はない。知り合いになった人たちには日記のありかを教えて、どんどん読みに来て下さいと誘う。