KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

マイブック/新猿人/マイニッキ/日記読み日記

■『マイブック』は続けて使っている

 勢いで「マイブック」ファンクラブなどというものを作ってしまったが、続けて使っている。いい調子だ。これまで雑多なメモを書くときは、机上のメモパッドに書いたり、スケジュール手帳だったり、ポストイットだったり、レシートの裏だったりしたのだが、いつもマイブックを持ち歩いてこれに書くようになった。

 メモはすべて「マイブック」に書くようになった。つまりメモの一元化が行われたわけだ。これは「超整理法」の原則にもかなっている。メモはすべてこの一冊のどこかに書いてあるということがわかっているので、「あれ? あのメモどこにやったっけ?」という迷いがなくなるということだ。丹念に探せば必ず見つけだせる。これは、ビジネスマンであればデスクダイアリーやシステム手帳にすべてのメモを書き込むこと、主婦であれば大判のカレンダーにすべてのメモを書き込むことに対応している。そこを探索すれば必ず埋もれたデータが出てくるという仕組み。

 問題があるとすれば、それは来年もまた「マイブック」を新潮文庫が出してくれるかどうかだ。かなりたくさん売れたようだから大丈夫だとは思うけれども、欲張ってデザインの変更などはしないでおいて欲しいと思う。特に、罫線とか余計なものは一切いれないようにして欲しい。何のデザインもされていないというところが、「マイブック」の良さなのだから。

 しかし、まだ今年が始まったばかりだと言うのに、早くも1年後のことを心配するのはやり過ぎだね。

■新日記猿人もマイニッキエンジンも快調

 日記猿人のサーバーの移行も無事済んだようだ。シュウさんも書いていたが、マシンのスピードアップとソフトの改善によって非常に快適にアクセスできるようになったことを実感する。ありがとうございます。

 マイニッキエンジンも、新猿人に対応してバージョンアップした。とりわけ「かんたん登録とかんたん削除」というメニューによって、登録済み日記を一覧からワンクリックで解除できるようになった。以前、この日記で「簡単に解除することができればいいのに」ということを書いたけれども、ひょっとしたらそれを読んで、対応して下さったのだろうか。いずれにしてもありがたいことだ。便利に使わせていただいています。

 簡単に解除できるということは、気軽に登録しようという行動の頻度を増やすことになる。新規開拓の面白い日記を発見しやすくなるということにつながる。

日記読み日記が話題

 ここのところの猿人界では、日記読み日記が話題になっている。私自身は、日記読み日記は嫌いではないので、よく読みに行く。

 自分もまた「晴れ時々日記読み」というコーナーを作っている。ただ、これは日記の批評や評論ではなく、読んでいて自分が心を動かされた部分をコピーしてきて、それに自分のコメントを加えるというもの。コピーではなくリンクを張るのが筋だと思うが、あえてコピーしてくるのは、万が一そのサイトがなくなってしまっても、その感動した部分を自分の手元に持っていたいという極めて利己的な動機によるものだ。

 さて、日記読み日記は一般的にアクセス数を稼ぐ。人間は、他の人についてあれこれとうわさ話をするのが好きだからだ。他人のトラブルを見に行くのも好きだ。とりわけ辛口を売りにする日記読み日記は、取り上げられた作者との軋轢を生みやすいのでそれでさらにアクセス数を稼ぐことがある。

 ネット上のうわさ話や悪口やケンカやトラブルが注目を集めるのは、モラルとは別次元の生理的な理由があるように思う。そんなのを見に行く人がアホなのだ、とわかっていても見に行きたいのである。

 それは、トラブル見物が自分が生き延びるための戦略を学習するのによい教材になるからなのではないか。どういう言動をすれば、どういう噂になるのか、どう悪口を言われるのか、どういうトラブルに発展するのか、そしてうまくいったとしてどう収拾をつけるのか、あるいはどういう最悪の結末になるのか。そういったことをリアルタイムで学習できる機会なのである。だから本能的にケンカを見に行ってしまうのではないか。

 しかし、この仮説には欠点がある。それは、これまでたくさんのケンカやトラブルが起こって、たくさんの野次馬がそれを見に来ているにも関わらず、まったく同じようなトラブルが繰り返されるということだ。ということは、ケンカを見物しても、見物人はそこからあまり学習しないということか。

 私の思いつきでは、日記の批評は成立しないだろう。だから日記読み日記は、その日記の紹介か、悪口や揚げ足取りか、個人的メモか(←私のはこのカテゴリー)、内輪受けかのどれかになるのではないか。

 それは「日記読み日記」作者の問題ではなくて、対象となるWeb日記そのものが「第二芸術」的な色彩を帯びているからなのだと考えている。第二芸術とは何か? なにぶん文学に疎い私であるので、変なことを書く前に、よく調べてから「Web日記第二芸術論」を別の機会に書こうと思う。