KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

個人的には投票ボタンを置いてほしい

 プチ日記とEIKO'S DIARYが、それぞれの理由でランキングから撤退してしまった。個人的には日記猿人投票ボタンを置いてもらえるとうれしい、ということを書いておこうっと。

 EIKO'S DIARYでは、昨日の私の日記からの引用がしてあった。「読者を意識しすぎると内省を逃してしまう」というところ。これは、よく考えると正しくないね。読者を意識しないWeb日記なんてないし、もしあってもそれは第三者が「読める」もんじゃないと思う。内省というのは自分との対話のことで、その場合の自分というのは、もう一人の自分ということだ。もう一人の自分というのは、最初の読者なんだよね。だから、読者としての自分を意識した文章というのは、Web日記特有のものになっていて、そういうのは他では読めないから価値がある。それは(自分という)読者を意識することによって、内省を深めているいい例になっている。

 文章における読者の意識と投票ボタンはあまり関係ないよ、たぶん。もしあるとすればこんな関係。日記本文と投票ボタンが並べて置いてあるよね。それを眺めてみて、投票ボタンがなんとなく本文に影響していて、本文が「物欲しげ」に見えるならば、それは投票ボタン、つまりランキング競争に影響されちゃっているんだね。そういう日記もまれにあるけれども、ボタンを置いてある日記の大部分はそうじゃない。本文とボタンは完全に独立している。だから復活してほしい。お願い。

 プチ日記に関しても、投票「便座さん」を復活させてほしい。ただの「便座さん」はあまりにも寂しげだ。この際だから告白すると、プチ日記がその面白さのために、はるか上位にランクされたことに私は少し嫉妬していたようだ。10回に1回は「便座さん」を故意に押し忘れたことを白状しよう。だから復活してほしい。お願い。

 日記猿人における投票システムはものすごくユニークだと思う。これは、アクセス回数なんかでは測れない、読者の反応を非常に敏感に反映していると考えている。つまりデータとして非常に面白いデータなのだ。このユニークな実験に参加しない手はないですよ。せっかく日記を書いているのだから。

 それから、これが一番重要かな。すべて日記作者のコストによって公開されている文章に何か意味のあることを見つけたときに、自分はそれを感謝したいという気持ちがあるのだね。日記猿人に参加して以来、ボタンのワンクリックが感謝の表明であるように習慣づけられてしまっているので、ボタンがないとなんか落ち着かないのだ。読んだあとに「すまないなあ」という気分になってしまう。だから、投票ボタンを置いてくださいな。