KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

手書きのWeb日記

 きのうはとても眠かったので、夕方五時くらいには研究室をあとにした。私は睡眠不足と、日照不足と、単位不足には極力弱いのである。いつもは8時間は寝ているのだが、きのうに限っては明け方に起きて、日記を書いていたのだ。それで寝不足になってしまった。

 日記猿人向けの日記を書き始めてから、一ヶ月になるが、慣れてきたとはいえ、やはり毎日一定の分量を書くのは大変である。土日は日記を書かなくていいと思うと、心がうきうきするくらいである。

 最近は子供が眠りについてから、一人で日記を書く。紙に手書きする。そして翌日にパソコンにそれを入力するのである。以前の私なら、紙に手書きして改めてパソコンに入力するなどということを聞いたら、思いっきりバカにしただろう。いったい何をやっているのかね、と。

 実際私のタイプ速度は速い。昔、ニフティのチャットでナンパにはげんだたまものである。しかも、カナ入力である。だから「゜」と「゛」をよくミスタイプする。カナ配列ではこれらは隣同士のキーである(すばらしきかなJIS配列!)。「みぽさん」を「みぼさん」と打ち間違えて冷や汗をかく。字が細かいのでみのがすのである。

 そんな自分だが、紙に一度書いてから入力するのも悪くないなと思うようになってきた。これもまもなく40歳を迎える年頃になったからだろうか。いやそうではなく、何となく書きやすいのである。「あー、今日は何も書くネタがないよ〜」と思うような日でも、とりあえず何文字か書いてみると、調子が出てきて、一定の量を書いている自分に気がつく。これは不思議だ。エディタで書いているとこんな感じにはならない。おそらく手を動かして文字を書き付けることで、書くための活動が活性化されるのかもしれない。準備運動のようなものである。

 そういえば、作文の指導法のひとつとして、ノンストップライティングというものがある。構成も順番も言い回しも考えずに、とにかく思いついたことを全部書き出すという方法だ。書くということのハードルを低くするためには効果的な方法である。ときどきノンストップライティングそのままのような日記を読まされることもあるが、書き手本人は気がついていないだろう。

 この文章もノンストップのようなものである。思いつくままに書いていって、途中で足したり引いたりはするが、紙に2枚程度書き付けたらだいたい千文字を越えるので、適当なところでやめる。

 毎日とにかく一本ずつ日記を書いていると、その内容が濃い日も薄い日もある。それでいいのだろうと思う。どんなネタであっても、とにかくその日に書くということが大切なのだ。まったく同じネタであっても、その日に書く文章と別の日に書く文章ではずいぶんとトーンが違うものになるだろうと思う。まったく反対の意見を唱えているかもしれない。「今日の自分はきのうまでの自分とは違う」という英語の文例を思い出す。

 だからその日に書こうと思ったネタで、その日にしか書けないものを書くのである。それでOKだ。実際そうやって書けば、それはその日にしか書けない、かけがえのない文章になる。

 こんなネタで書きたいなと思うテーマをメモしたものはある。何もない日はそれを眺めてみるのだが、ピンとくるものはあまりない。むしろ不採用のネタリストを眺めているうちに、別のテーマを思いつくことの方が多い。そう考えるとボツのネタリストも十分役に立っているわけだ。