KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

宿題をせずに寝てしまった子供の気分

 これを書いているのは30日(水)の朝である。きのうはいつものように夜11時くらいになったら子供を寝かしつけて、日記を書く予定だった。テーブルの上に原稿用紙を広げたところまではよかったのだが、子供を二階の寝室に連れていったついでにちょっとベッドに横になったら、そのまま寝てしまった。それで朝になった。もちろん日記は書けていない。

 宿題をせずに寝てしまって、そのまま朝を迎えた子供のような気分である。日記を書かなかったからといって何の罰があるわけでもないのだが、なんとなくやるべきことをやらなかったという良心の呵責のようなものが湧いてくるのが不思議だ。朝のこの時間に日記を書けばいいのだろうが、こういうときに限って何も浮かんでこない。

 おそらく夜の思考と朝の思考というのがあるのだろう。夜は内省的思考に向いている。一方、朝は展望的思考に向いている。夜に書く文章は、すでに起こったことを思い出し、反省し、あのときはこうすればよかったなどということを際限なく考える。とめどなく思いは湧いてきて、渦を巻き、結論を見いだせないままに流される。ある時は深みにはまる。

 一方、朝の思考は、反省を拒否する。これからどうしようかという展望を専門にする。朝から反省している人は病気である。だから朝は日記が書きづらいのだ。朝書けるものは希望に満ちたこれからの予定表に限られる。

 朝食を食べながら白紙の原稿用紙をぼーっと見ている私に「宿題しないで寝てしまった子供みたい」と言い、「そのことをネタに書けば」と言ってくれた妻に感謝する。