KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

…について書くことと…を書くことは違う

 先月末以来、バドミントンをやっていない。というのも、書かなければならない原稿がたまっているからだ。同時に、痛めていた右肘を完治させることにもなる。痛いのならやらなきゃいいと思うのだが、少しよくなると再開して、また痛めるというようなバカなことを繰り返していた。これを機会に完治させるのだ。

 それにしても、原稿というのはなぜこうも思い通りに進まないものなのだろうか。マラソンをするように、一定の時間走れば、一定の分量進むというようにはならないものだろうか。不思議だ。

 とはいえ、毎日このように日記は書いているわけだから、日記の代わりに原稿を書けばよさそうな気はする。実際、他人からもそう言われる。しかし、「原稿について書くこと」はできるのだが、「原稿そのものを書くのはできない」のだ。実に不思議だ。

 たとえてみれば、「音楽について書くこと」はできるが、「その音楽そのものを奏でることはできない」というのに似ている。いやなにも音楽でなくても、「ある本について書くこと」はできるが、「その本を書くことはできない」。当たり前のことだ。

 たまたま、原稿を書くのも自分であり、それについて日記で書くのも自分だったので、まぎらわしかっただけなのだ。つまり、「原稿を書くこと」と「それについて日記を書くこと」は同じ書くことでも、互換性がない。同じ書くことなんだけど、違う種類のものなのではないか。そんな気がしている。

 教訓は? 「……について書く」ことを過大視してはいけないんだろう。尊敬されるべきは、大勢が「……について」といって書く、その「……」そのものを作った人であるから。