KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

メタ認知から考えたメタ日記

 少し前に我茶日記で「メタ日記」ということについて話題になった。それを読んだ私はすぐにメールで「メタ日記というのは、日記についての日記ですよ」と送った。しかし、これは実はよくわからない説明だ。たとえばはせぴぃ先生をはじめ、何人かの日記書き(私も含め)がやっている「日記読み日記」はメタ日記なのかどうか。

 メタ日記を「日記についての日記」と言ったのは、心理学用語からの類推だった。「メタ」がつく心理学用語として、「メタ認知」や「メタ分析」がある。その意味を一言でいえば「認知についての認知」、「分析についての分析」となる。それから類推すれば、「メタ●●」というのは「●●についての●●」ということになる。

 メタ認知というのは正確に言えば「今自分が何を考えているかについての考え」となる。たとえば、今私は日記を書いているので、その内容について考えている。それと同時に、今自分は日記を書いているのだということをモニターしている自分もいる。この後者の自分がメタ認知ということになる。

 他人が何を考えているかについて考えることはメタ認知ではない。それは単なる他人の考えについての推論であり、メタということを持ち出す必要性がない。この場合のメタということには自分が含まれていることが必要だ。というのであれば、他の人の日記について書いた日記(通称「日記読み日記」)というのは、自分が含まれていないのでメタ日記ではなく、ただの日記批評と言えよう。
まとめ

 メタ認知はこう表現できる。

  • 私は(私はあることを考える)を考える

 とすればメタ日記はこうだ。

  • 私は(私はあることを日記に書く)を日記に書く

 例を考えれば、

「こんなどうでもいいことを小難しく日記に書いている私である」

 は明らかにメタ日記と言える。