KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

小林よしのりの「戦争論」

 レジで「感動しちゃいました」と言われて買った、小林よしのりの「戦争論」を二晩かけて読んだ。

 私は、政治と歴史にとりわけ弱い。もういい歳なのだから、こうした領域の話題についてひとくさりでも語れるようにしなくちゃいかんのかもしれないが、どうもいけない。学校でも歴史は超苦手科目だった。

 そんな自分が読んだ「戦争論」は、正直おもしろかった。「感動したか?」と問われれば「かなり感動した」と答える。この間、映画「プライベート・ライアン」を見たばかりなので、小林よしのりがマンガで描く戦争の場面が、映画の映像と重なってきてしまうのだ。それが感情を倍加させた。

 この感動はどこから来たのかと考えると、その半分以上は作者小林よしのりの気迫に感動していたものだ。歴史というのは、その場にいない者にとっては、誰かが語ってくれたり、本として残してくれたり、映画として見せてくれたりするしかないので、いつでもそこで語り手が「再構成」している。そのことを覚悟して読むものだ。そう意識した上で、このように再構成した作者の意気込みはすごいものだと思う。それがこの本をベストセラーにし、若い世代によく読まれているという現象を生んでいる。若い世代に歴史や戦争を語ってくれる人はいない。その役割を小林よしのりは買って出た。

 しかし、感動はやはり思考停止を招く。この本の最終結論である「公=国を取り戻そう」という意見も「なるほど、そうだ!」といいそうになる。もはや、公という役割を背負った「国」という概念は崩壊していることを考えなくてはいけないのに。