KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

今日書けることは今日しか書けない

 こうして日記を書いていて思うのだが、今日書けることは今日しか書けないのだ、ということだ。どういうことかというと、私たちにはいつでも書こうと思えば書ける時間があって、たまたま今日は忙しくてそんな時間はないんだけれども、いつかきっとそういう時間がやってくると信じている。そして、今日書くよりももっと完全ですばらしいのものが書けると思っている。でもそのことは完全に幻想である、ということ。つまり、「ああ、今日は書けなかった。まあいいや。明日まとめて書こう」というときの「明日」はけっしてやってこないのだ。たとえ明日書いたとしても「明日書いた今日の自分」は「今日書いた今日の自分」にはなり得ないし、まったく別のものだから。

 これは何も日記を書くということだけに限らない。どんな活動でも今日できることは今日しかできないのだ。今日読める本は今日しか読めない。今日見られる映画は今日しか見られない。今日できる散歩は今日しかできない。今日考えられることは今日しか考えられない。