KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

日記読み返しの行動分析

 23日に「日記読み返しの行動分析」ついて不完全に書いた。書いてみると自分がどこがわかっていないかよくわかる。これが書くことの重要な意味だと気付かせてくれる。期待したとおり長谷川さんから詳しいコメントをいただいた。ありがとうございます。プロの行動分析家は次のように記述する。

「自分の日記を読み返す」行動に随伴する結果はいろいろあると思う。例えば、生活系の日記であれば、その言語的記述が条件刺激となって執筆当時に得たポジティブな無条件刺激が誘発されるかもしれない。その無条件刺激は同時に好子ともなるだろう。論述系の日記であれば、新しい考えをまとめるとき、忘れ去られていたアイデアが浮かんでくるかもしれない。これも、混沌とした思考に整合性を与えるという点で好子になるかもしれない。公開した日記について読者から好反応があれば、読み返した時にもその社会的強化に依拠して形成された学習性好子が随伴する。単に「読み返す→快」ではトートロジーになってしまうように思う。で、何が強化しているのかを見極めるには、まず、どういう日記を書いているのか、日記全体を読み返すのか特定部分だけを読み返すのか、特定部分であるとしたらそこに何らかの共通性は無いか....というようなケリーの立方体風の分析(←『クリティカルシンキング』による)から始め、ついで、候補となる結果を実験的に操作して行動の増減を調べてみればよいのではないかと思う。

 「自分の日記を読み返すのはそれが快だからだ」と書いて、でもこれじゃ説明になっていないなと感じた。上の長谷川さんの説明から、「(直前)思考が混沌としている→(行動)日記を読み返す→(直後)思考が整頓される」というダイアグラムを作ってみると納得がいく。