KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

年賀状と人脈

 妻の実家にいるので当然年賀状は来ない。また、こちらから出すべき年賀状も書いていない。一応はがきは100枚買ってあるので、年賀状だけでのやり取りの人にはあとで出すつもり。しかし、インターネットで連絡のつく人にはメールで送りたい。

 昔は年賀状が何枚来たかということや、前の年よりもどれほど増えたかということが気になっていたような気がする。その数字は自分が持つ人脈がどれほどのものであるかを示すようなものに思えたし、またそうした人脈がひょっとしたら自分の将来に関わりのあるものになる可能性があるような気がしておろそかにできなかった。

 またこちらから出す年賀状には、自分のアピールしたい情報を小さな字でぎっちりと書いていた。今見れば、自意識むき出しのいやな感じのする文面であったかもしれない。しかし人生には、ポジションを得るために自分をアピールすることが必要な時期があるわけで、その背景を考えれば、嫌な感じの文面も微笑みをもって見ることができる。

 年賀状に対する執着心が急速に薄れたのは、本当の人脈というものがもしあるとしたら、それは年賀状のやり取りなんかとは別次元のところでの存在なのだということに気づいてからだ。それは年に一度のやり取りなんかではなくて、突然に、しかもどういう形でも(メールでも電話でも手紙でも、あるいは街角でばったり出逢ったりして)やってくるものなのだ。振り返ってみれば実際、本当の人脈は不意をついた形でしかやってこなかった。それは計算したり、予想したり、期待したりしてやってくるものではなかった。