KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

ポスト実証主義と質的研究法

 先週の冬の合宿の若手研究会は研究方法論をめぐっての議論だった。ふだん温厚なわたしは、意識して攻撃的になり、質的研究への疑問を出したのだが、どうも話がうまくかみ合わない。脱実証主義(post-positivist)だとはいいながら、仮説は捨てないらしい。仮説枠をあらかじめ設けないで理論が浮かび上がるのを待つ方略と言うことだ。

 しかし、それならば川喜田二郎のW型問題解決の最初の「フィールドワーク」の段階でできることであるし、実証主義はそこで浮かんできた仮説を検証する手続きを厳密に決めること(信頼性や客観性)で自らの存在意義を見いだしてきた。しかし、質的研究では仮説を検証するのが目的なのではないということだ。ではなんのために研究をするのだろう。

 それに対して、「現象に内在する意味を見いだすこと」、「問題を文化的な文脈で扱うこと」という。ということは、ルポルタージュやドキュメンタリーに近いと言うことか。それは記述的研究という意味で当たっているかもしれない。そこでの研究の価値を計る意味で、信用性・移転性・信憑性・確証性というような概念が提案されているとのことだ。しかし、それでもなお因果推論を扱わなくていいのかという疑問が残る。

 落ち着いてもう一度レジュメを読み返してみるとだんだんと全体像が見えてきたような気がする。それを自分なりに整理して下の表を作ってみる。この表はあくまでも理解のためのおおざっぱなものであり、たとえば行動分析学が言語的行動にアプローチしていることも承知している。

  • 名前    ターゲット   得意な領域   研究方法         指向性
  • 行動分析学 個人      非言語的行動  単一事例実験計画     治療、介入
  • 認知心理学 個人から集団  言語的行動   実験計画法からプロトコル モデル化
  • 質的研究  社会・文化   意識されない行動様式 参与観察、インタビュー 記述

 こうしてまとめてみると、自分なりに納得がいく。たとえば、エスノグラフィーをやっている人が、パソコンを教える人と教えてもらう人の観察記録を出してきて、「この会話に<権力構造>が透けて見えるわけです」というようなことを言うわけだが、私には「だから何なの?」という感想しかない。つまりズレまくっているわけだが、それはお互いに、ターゲットも違うし、指向性も違う研究を自分の研究としてやっているからなのだ、ということが了解できる。