KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

恣意的な締切こそ守る

 きのうの締切の話で、大切なことを忘れていた。それは、締切はいつでも恣意的に決められるということだ。つまり、締切がこの日でなければならない理由は、あまりないということだ。たとえば、締切を8月20日に決まったとする。またその日まで時間があるときは、いい。その締切日が正当なものに思える。しかし、その日までいよいよ一週間を切ったという時点になると、急に「なんでその日が締切日でなくてはならないのだろうか?」という疑問が頭をもたげてくる。

 もともとその日が締切でなくてはならない理由なんてないのだ。ただそう決めただけだから。これに対して「じゃあ、一週間くらい延ばしたっていいんではないか」と考える人と、「決めたものは守る」と考える人の2種類があるのだ。これこそが締切を守れない人と、守る人の分岐点なのではないか。

 恣意的なものだからこそ守る、という考え方がある。たとえば自分の誕生日は偶然決まったもの、恣意的なものだ。だからといって、理由もなく「誕生会を一週間遅らせてやろう」と考える人はあまりいない。こう考えると、恣意的なものこそ、それを尊重しなくてはならないような気がしてくる。もともと自分の存在自身が恣意的なものなのだから。