KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

締切のリスク・マネジメント

 東工大にて『教育工学事典』の編集委員会に出る。編集委員会としてはこれが最終回になる。今のところ、来年の3月には出版できるスケジュールになっている。本当なら今年の10月に富山大学で開かれる大会に間に合わせることができたら良かったのだが、やはりスケジュールは遅れるもののようだ。

 たとえば100人の人に執筆を依頼したとすれば、そのうち一人は海外に行っているし、一人は病気になっているし、一人は交通事故にあっているだろう。だから、全員がスケジュールどおりに原稿を出してくれると期待する方がナイーブすぎるのだ。

 スケジュールどおりに本を出版するためには、ある種のリスク・マネージメントが必要になってくる。たとえば一次締切、二次締切を決めておいて、一次締切で原稿が出てこなければ、警告し、二次締切でもだめならば、すぐに別の候補に執筆を依頼する、というようなシステムにすればいい。冷たすぎるだろうか? 実際、何回も催促して、そのたびに「必ず今月末までには書きますから」と返事されると、つい機械的に切ることはできなくなるもののようだ。たとえ、それが3回、4回と続いても。人情の偉大さ。

 一人か、あるいは二、三人で本を書く場合は、その人しか書けないのだから、待つことも必要だろう。そのために必要があれば、編集者がつきっきりで缶詰にして書かせるというようなリスク・マネージメントの方法がとられる。しかし、事典の類の原稿の場合は、必ずしも誰それでなければならないということはめったにないものだ。だから、むしろ機械的なシステムにしたほうがいい。一人の遅れによる全体の遅れに対する損害が大きすぎるからだ。

 それにしても、なぜ人は原稿の締切が守れないのだろうか。ひとつは、締切に遅れることに対する罰則がないことである。たとえばソフトウエアであれば、納期に対して一日遅れるごとに、ペナルティがかかり、それだけの金額が代金から差し引かれていく。下手をすれば儲けがなくなる。しかし、原稿の場合は「一日遅れるたびに原稿料の1割ずつをひいていく」というような契約は聞いたことがない。もしこのような契約がされたとしたら、10日締切に遅れたところで、タダ働きになる。11日以降は、原稿も書き、なおかつ本人が原稿料を依頼主に「支払わねばならない」。これはすごい。勇気ある出版社は、これを試みてみることを期待する。きっと締切前に全原稿が集まるだろう。

 もちろんその場合は、締切10日前に入稿されれば、原稿料は2倍、5日前であれば1.5倍になるなどのボーナスをつける。チケットに早期購入割引があることを考えると、これはそう不自然なことではない。早く入稿されれば、それだけ出版社の社員が効率よく(待ち時間なく)働けるわけだから。また、原稿の催促や連絡に注がれる人的エネルギーはばかにできない。これがカットできる利益は大きい。

 締切が守れないことの、もう一つの重要な理由は、自分の原稿の合格基準が曖昧なことである。この原稿でよし、という判断は自分がしなくてはならない。合格基準が高すぎる人は、なかなか原稿ができない。まず、書く前にいろいろ調べなくてはと思いこんで、何も書けない場合もある。

 解決策はシンプルである。自分の合格基準を下げることだ。最低まで下げることだ。「基準を下げてそんなひどい代物を出すことはできない」とあなたはいう。大丈夫、そんなことは読者がみんな分かっている。ひどいものに対しては「こりゃ、ちょっとひどいよね」と読んだ人はみんな思うし、そのうちの何人かはあなたに直接間接に伝える。あなたはそのフィードバックを素直に受け取ればいい。そうして次はそれよりも、もう少しいいものを書けばいいのだ。

 もし何度か続けてひどいものを書けば、しばらくあなたには注文が来なくなる。それこそがポイントだ。注文がなくなって、暇になったあなたは、その時間を利用して、よい材料を仕込み、実験をし、フィールドワークをし、データを熟成させる。忘れたころにやってくる、久しぶりの注文のチャンスにそれを発表する。あなたは評価を取り戻し、ハッピーになる。それは自然のバランスだ。毎回、毎回、最高の仕事ができることはない。ならしてみれば、大部分は平凡な出来なのだ。安心することに、最低最悪といえる仕事はほんのわずかにあるだけ。そして、最高の仕事もそれと同じ数だけあるのだ。