KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

すばらしきビジネス精神

テレビ番組「ブロードキャスター」にコメンテーターとして出ている、フィールズさんがちらりといっていたこと。

「アメリカでは政治はビジネスなんだが、日本ではそうではない。ビジネスでは、スケジュールをきめたらきちんとそれを守る」

なるほど、日本では政治に、精神論や、人格主義を持ち込みすぎているのだな。建前では、精神論が幅を利かせる(確固たる信念を持って改革を進める、というような精神論)。下世話な話になると人格主義になる(誰々は口先ばかりだ、というような人格攻撃)。どちらからも逃れられない。

そこには、何かを約束してそのポストを得たならば、その約束を果たすべく淡々と仕事を進める、というようなビジネス的性質がない。ビジネスは、結果を重視する。口でなんと言おうと、まず結果を重視し、もしそこに何か説明すべき点があれば、初めて説明を要求する。最初からいいわけでは、それこそ話にならない。それがビジネスだ。

しかし、私は特段ビジネスを礼賛しているわけではない。ビジネスでやっているのなら、ビジネスで貫き通してほしいと思っているだけだ。

今回のオリンピックには心底白けてしまった。結果はどうにでもなるということが、露見してしまったからだ。「どうにでもなる」ということをもっと正確に言うなら、どうにでもなる場合と、どうにもならない場合を、誰かが恣意的に作り出すことができるということだ。その意味で、オリンピックはポストモダン的なのだ。そこに「真実」とか「本物」があるというのは幻想にすぎない。その映像は、誰かによって作り上げられ、こちらがいいように、あるいは悪いように解釈した結果にすぎない。その混乱ぶりが、実にポストモダン的なので、考察に値する。

このオリンピックもまた、誰かのビジネスであり、ただそれが淡々と進められているんだよ。外見は混乱しているかもしれないが、それはビジネスが進められた結果にすぎない。だって、全体としてはスケジュール通りにきちんと終了しているのだから。すばらしきビジネス精神。