KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

引用部分が面白い

 1999年も最後の月に入ってしまったので、家に帰ると、今年分のWeb日記を少しずつ整理している。最初の頃は、ファイル名にしても「991202.html」のような名前を付けていた。これだとひとつのフォルダーの中に1年で300個以上のファイルが並ぶことになって大変扱いにくい。その上、何年続くかわからないのだ。(Web日記を三日坊主でやめてしまっていたなら、こんな悩みも起こらなかったのだが)

 日記ファイルの名前を変更して、新たなフォルダーに移動するという単純作業をしているわけだが、ついでに索引をつけている。その日の日記に、1〜5個くらいのキーワードをつけて、索引から跳べるようにリンクする。この作業がけっこうめんどうだ。

 キーワードをつけるためには、もう一度日記本文をざっと読まなくてはならない。それでわかったことは、一人の人間の考えることはかなり限定されたパターンの中に収まってしまう、ということだ。つまり、おなじ思考パターンや同じ話の展開が何度も何度も繰り返し出てくるということだ。「ああ、またか」という感じで、自分の文章のワンパターンさにうんざりしてしまったりする。

 その一方で、読んだ本からの引用や、他の人から聞いた話などは、新鮮な感じで読める。つまり、自分が考えたことではなく、外から仕入れてきた話が面白いのである。なんだか、日記を書こうとする気を萎えさせるような結論だが、実際そうなのだから仕方がない。

 日記に自分の身辺に起こったことを書けば、それは正真正銘、オリジナルの内容であり、文章である。でもそれは意外に、決まったパターンにはまりやすいのかもしれない。だから僕は「日記といっても、その日にあったことばかりを書かなくても良いのだ」と考えているのかもしれない。外から仕入れた情報で、自分が面白いと思ったことを、そのままの形で記録しておくこと。それだけでも、十分面白い日記になりうるのだということを考えている。