KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

心理学関係の質問が舞い込む/最終テストのできが悪いとき

 最近、メールや掲示板で、心理学関係の質問がぽつぽつと舞い込む。たいていは大学生で、レポートや調べもので手に負えないものを聞かれているような感じだ。掲示板では「PQRST法」について、メールでは「トーキングタイプライター」について、教えてほしいというものが、最近ではあった。いずれも図書館に行って、大きな心理学事典を探せば出ていそうである。あるいは分厚いアメリカの教科書の索引を引けば見つかりそうだ。しかし、インターネット経由で尋ねた方が、楽だろう。こちらも勉強になるから一応調べたりする。全部は教えないけれど。

 それにしても、この類の質問が舞い込むのは、ヤフーのカテゴリーに登録されているからだろうか。認知心理学教育心理学の両方のカテゴリーに登録されているので、ひっかかりやすいのか。しかも、認知心理学には向後研究室のトップページが張り付けられ、教育心理学には私個人のトップページが張り付けられているのだ。ご丁寧にも。

 こういう質問には、答えてあげるのが親切というものだが、ただ答えてあげるだけではなんだかもったいないような気もする。もちろん自分が調べた分、勉強になるのだが、この手の質問にたとえ答えたとしても、本人がその答えを確認したのか、あるいは何かの役に立ったのかはよくわからないことが多い。お礼のメールが来ることももちろんあるが、答えを聞いて、そのまま、というケースのほうが多いように思う。これはちょっと寂しいなあ。今度からは、「その後の経過報告」を書くことを約束してもらえば、質問に回答したりヒントを出したりしてあげるようにしようか。

 前期の試験のシーズンだが、そのできに関しては複雑な思いがある。12週か13週間の授業でやったことが、はたして理解され応用できるようになっているかどうか、そのことを確認したいのである。易しすぎても意味はないし、授業でやったことの範囲外からだすのも意地悪に過ぎない。よく「先生は私たちのこと、落としたいんでしょう」などという学生さんがいる。しかし、自分の授業の受講生を落としたいとは、これっぽちも思わない。ただ、私の授業を受けてくれたからには、これだけのことができるようになっていてほしいと願いながら、問題を作成する。全員が無事合格することを願いながら。

 しかし、全員が合格するということは、あまりない。それは自己ペース・完全学習が特徴であるPSI方式の授業であっても、そうだ。とはいえ、すべての単元の通過テストに合格していれば、解くのにそれほど苦労するとは思えない試験問題に対して、多くの学生が四苦八苦しているとすれば、それはやはり授業のどこかが失敗していると考えざるを得ない。残念だが。

 深い理解に到達しなくても、通過テストが簡単に解けてしまうものだったか。通過テストの回答チェックをするプロクターが甘かったか。応用力をそれほど必要としなくても、単元が終わってしまうものだったかもしれない。最終テストの採点をしながら、いろいろな想像をする。反省が頭の中を駆けめぐる。終わってみて、満足のいく授業というものは、実はほとんどない。