KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

デシ/フラスト『人を伸ばす力〜内発と自律のすすめ』

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

人を伸ばす力―内発と自律のすすめ

 東京に来ている。飛行機の中で、デシ/フラスト著桜井茂男監訳「人を伸ばす力〜内発と自律のすすめ」(新曜社、1999、2400円)を読む。これはすばらしい本だ。たくさんの人に読まれて欲しいと思う。そして訳者のいうとおり、一度だけでなく何度も読む価値がある。

 だから、高々一時間くらいでこの本の紹介、感想をここに書くのはためらわれるのだが、読んですぐの強い印象を中心に書き留めておきたい。

 この本は、どのようにしたら人は自分を動機づけることができるようになり(内発的動機づけ)、自律性と偽りのない自分を発展させることができるか、ということについて書かれている。

 「偽りのない自分」という科学的な定義のしにくいキーワードがいきなり出てきたが、これこそが「自律」とは何かというところを突き詰めていくと最後に残る概念になる。二つの道に分裂した経験主義的心理学(実験心理学)と人間主義心理学(humanistic psychology)の統合をはかるという困難な努力をデシはしていて、それがこの本全体の価値になっている。教育を中心とする社会全体の問題に切り込みながら、科学的な調査・実験データをきちんと示し、かつ、日常的な場面での具体的な問題(子供をどうしつけるかというような)を解決する方法を提案している。これらの記述が絶妙なバランスで配置されているので、この本に説得力がある。

 デシは行動主義心理学の強化随伴性に対する批判を展開している。つまり、ある特定の行動をさせるために報酬やほめ言葉を与えて強化することは、その人の自律性を支援することにはならないという。たとえば、しつけをするとき、子供が特定の行動をしたときに愛情を注ぐというような「愛情留保的アプローチ」がとられることが一般的だが、それは子供が規範を内在化させるのを妨げ、自律性を発達させるのを支援しない。

 それでは自律性を支援するにはどうしたらいいのか。それは選択肢を与えることだという。選択肢を与えて自由に選んでもらう。そのことにより、内発的動機づけは高まる。しかし、最近の学生には選択させようとすると「どうしたらいいのか指示してください」という学生も多いなあ、と私は思う。デシもそう感じていた。

人は管理されることに適応すると、自律的になる機会という人間の本質に不可欠なものを望まないかのようにふるまうのである。たぶん、間違った選択をすれば批判や罰を受けるという恐怖を感じているのだろう。

 昨日の日記に、授業がうまくいかないことを書いたが、こんな記述を読んでどきりとする。

親、政治家、学校の経営者たちは皆、生徒に創造的な問題が解決できるようになって欲しい、教材を深い概念のレベルで理解して欲しいと思っている。しかし、これらの目的を達成しようとする熱意のあまり、彼らは教師に成果をあげるよう圧力をかける。圧力をかけられるほど教師は管理的になり、そのことはわれわれが何度も見てきたように、生徒の内発的動機づけ、創造性、概念的理解を低下させてしまうというパラドックスを生み出すのである。

 自分の内発的動機づけや自律性を高めるためのテクニックはあるのかというと、デシはそんなものはないという。おそらくここは多くの研究者や実践家との分岐点になろうかと思われる。しかし、この問いそのものが自己矛盾しているということをデシは静かに言うだけだ。

ほんとうのところ、人を動機づけたり自律的にするテクニックはない。動機づけはテクニックによってではなく、内側から出てくる必要がある。それは、自分自身を、責任をもってマネージしようと決心することから出てくる。………ほんとうの決意なくしては、また、その人たち自身にとって重要な変わる理由がなければ、テクニックは助けにならない。自分を変えるものとしてテクニックを重んじることは、内的ではなく、外的なところに自分を変える原因の所在があることの現れである。………最初に、その人自身が変わりたいと深く望んでいなければならない。そうすれば、おそらく、テクニックを用いることが少しは助けになる。

 これは不思議な本である。上のような引用を読むと、人間性心理学の中心概念を聞かされているようでもある。アドラーの引用はないが、アドラー心理学と共通する部分も文中にたくさんある(とりわけ教育や学校について)。しかし、論をすすめる原動力になっているのは科学的実験データである。その意味で「統合とバランス」という、この本全体のテーマのひとつを、この本を書くこと自体で実践したということになるのだろう。