KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

生活感あふれるWebサイトに住む

 Web日記を書き続けている人なら、多かれ少なかれ自分のサイトを常に手直しすることに熱心なのではないだろうか。そして、いつまでたってもその仕事に終わりがないことに気づいて、ため息をついたりするのだ。

 これは、たとえば「パーフェクト収納術!」というような雑誌記事や本を読んで、「おお、これはすばらしい!」と思い、自分の家の収納の再整理に取り組んでみたものの、雑誌のようにはとてもいかず、そっとため息をつくのに似ていたりする。

 たとえば自分のサイトのデザインに一貫性を持たせることは永遠のテーマである。永遠のテーマということは、誰もそれを完璧に成し遂げている人はいないということだ。たとえば、各ページのレイアウトや、「戻る」リンクの配置、共通のワンポイントグラフィクスなど、一度この方針でやろうと決心したところで、いままでに作ったページがちょっとでも多いと、途中で放り投げてしまうことになる。その結果、古いデザインと新しいデザインがページによって混在し、見事な不調和感を醸し出すのだ。

 たとえば、このページひとつを取り上げてみても、その要素には、他のさまざまなWebページを見てきて、「あ、これはいいな!」と思うものを取り入れて成り立っているのである。他のところから拝借してくるということ自体はいいのだが、問題は、ほどなく気が変わってしまい、それを続けることができないということだ。

 それは、あたかも、雑誌のインテリア記事を読んでいて、「あ、この収納棚、いいな!」と思って、それを買ってきても、いままでの部屋の雰囲気にはマッチしなかったり、たとえマッチしていたとしても、同系統のものを買いそろえることなく、次にはまったく別のものを買ってしまうという行動に似ている。そうした結果、まったく統一感のない、いわゆる「生活感あふれる雑多な部屋」になってしまうのである。

 世の中の大部分の人が、生活感あふれる部屋に住んでいる事実から推測すると、現在までに作られている個人Webサイトが「生活感あふれるサイトデザイン」になっていることは疑いようがない。私たちの多くは、インテリア雑誌に載っているようなすばらしい部屋にあこがれながら、実際は生活感あふれる部屋の中で日々暮らしている。それと同じように、多くの個人サイトオーナーは、パソコン雑誌に取り上げられるようなかっこいいデザインのサイトにあこがれながら、実際は、一貫性のない、思い付きあふれるサイトを作り、そこに住んでいるのだ。

 「しかし、それでいいのではないか」とそっと言ってみる。インテリア雑誌に載るような部屋にはとても住めない。たとえ住めたとしても、それは部屋からの制約を十分受けなくてはならない。ボロは見せられない。一貫性があるというのはそういうことだ。不自由なのだ。サイトのデザインを一貫性のあるものにしようと努力を始めたとたん、それは不自由さを強いることになる。

 誰も、お客さんを招き入れるときには、とっちらかったままの部屋には通したくないものだ。それが、個人サイトのデザインに常に手を入れる動機になっている。しかし、その作業は結果としてあまり報われない。とすれば、自分の生活感あふれるサイトに誇りを持つということもひとつの選択肢でありうる。