KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

反逆者を育てる

 娘とともに図書館に行く。八尾町の新しくできた図書館は、子供用遊び部屋もあって、なかなかよい。なぜか日曜日の図書館は、子供を連れた「お父さん」が目立つ。きっと、「ちょっと。昼間からごろごろしているんなら、子供を図書館にでも連れていってよ」とかなんとか言われて、図書館に来ているのだろうな。あ、私の場合は自主的に来ているので。念のため。

 子供を遊ばせながら、最近の雑誌を何冊か読む。「週刊朝日」、「日経PC21」、「プレジデント」など、普段は買わないものばかり。

 「プレジデント」という雑誌を読むと、世の中のサラリーマン(といっても私もサラリーマンなのだが)は、こんなに勉強しなければ生き残れないのか、などとつらい気持ちになる。英語力、問題解決力、自己管理力……。これでもかというくらい叱咤激励の記事が並んでいる。

 社会人になってから、これほどの勉強が必要ならば、せいぜい学生のうちは勉強よりも遊んでおくほうがいい、と考える気持ちがわかるような気がする。それだと、授業料がすごくもったいないのだけれども、自腹を切って授業料を払っている学生はほんのわずかしかいないだろうから、その時点ではわからない。日本はアメリカと比べると「教育は自分自身への投資である」と考える人は少ないのだそうだ。そうだろうね。

 自分への投資として教育を受けることを考えれば、さぼったり、休講を喜んだり、要領よく単位を取ったりすることには、あまり意味がないことがわかる。教育を買っているんだという消費者意識があって、それを学校に要求していけば、学校も必然的に変わっていくような気がする。ということはまず学生に消費者教育をすることが必要か。しかしそれは、学校経営者にとっては、反逆者を育てるようなものだ。経営者にとっては何も要求せずに素直に授業料を払ってくれる学生が一番の得意客なのだから。

 よく考えたら、反逆者を養成する組織は、学校以外にはないんじゃないか。すべての企業は、反逆者を育てることはしないし、たまたま出てきた反逆者は排除する。だから、企業と学校は違う。反逆者を育てるか否かというただ一点で異なっている。