KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

教育学部の行く先 新課程研究協議会@新潟大学

新潟大学で開かれた、「日本教育大学協会 北陸地区会 新課程研究協議会」に参加してきた。北陸とはいうものの、福井、金沢、富山に加えて、上越教育、新潟、信州の6大学の教育学部のゼロ免課程の担当者が集まった。お互いの情報交換を目的として毎年一回開かれている。私は初めての参加。

国立大学の教育学部については縮小傾向とともに逆風が吹いている。具体的には、つぎのような学部は危機感を持つべきだと文部省から示唆されている。

  1. 教員養成課程の学生定員が100人以下の場合
  2. ゼロ免課程の学生定員が全体の半分を超える場合
  3. 学部教官定員が100人以下の場合

私のところでは2.を除いてあてはまっているのだが、全国的に見ても過半数の教育学部はこの条件のどれかにあてはまっているのではないだろうか。いわれるまでもなく危機感は十分に持っているのだが、それではいったいどうしたらいいのか。

他の大学の動向を見て感じたのは、もはや教員養成課程だ、ゼロ免課程だといって対立しているヒマはないということだ。ゼロ免課程についてはどこの大学でも、後からできたということもあって、教員の数が足りなかったり、部屋の数が足りないというような不利がある。それに対して既存の教員養成課程が既得権を手放さないという現象も例外なく各大学であるようだ。そのような経緯はあるけれども、もはやそんなことでごたごたしている時間はないのではないか、と感じた。

教育学部が生き残っていくためには、教育学部にしかできないことをやっていくことだ。つまり、「教育と学習の科学」を研究し実践していくことだ。教員養成課程はもちろん、ゼロ免課程もまた「生涯学習とそのための人材育成」をターゲットにしていくことだろう。現状では「教育学部がやっていることは、他学部でやっているんじゃないの」といわれる部分が確かにある。教員スタッフの中にも「何であなたは教育学部にいるの?」と思うような人もいる。教科教育ということにタッチしないどころか、自分の専門領域よりも一段低く見る人もいるくらいだ。

もはやこういうことでは通らない。文部省は、教育学部の博士論文と修士論文の題目を調査し始めた。これは、教育学部が出している博士と修士の内容が、あまりにも教育実践からかけ離れている場合があるのかどうかをチェックするためだといわれている。もしもその内容が、理学部や工学部、人文学部にこそふさわしいものであるとしたら、なぜそれを教育学部で出さなくてはならないかという疑問に答えることができない。もちろんどの学部で出してもいいじゃないかという柔軟な考え方もあるだろう(私も個人的にはこれに近い)。しかしそれがアカウンタビリティというやつだ。

学校の教師はもちろん教えるための人材だが、何かを教えるという仕事は教師だけではない。スポーツのコーチやパソコンのインストラクターなど多種多様だ。そうした職種にどれだけ絡んでいけるかがゼロ免課程の成否を決めるだろう。ひいては教育学部の生き残りを決めるポイントになるような気がする。