KogoLab Research & Review

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イレイン・ワイス『コンピュータ・トレーナー実践ガイド』

コンピュータ・トレーナー実践ガイド―わかりやすく効果的なトレーニングのために

コンピュータ・トレーナー実践ガイド―わかりやすく効果的なトレーニングのために

11/10の日記で「看護学校で教える統計学」という内容を書いた。そうしたら、『コンピュータ・トレーナー実践ガイド』(イレイン・ワイス著、海文堂、2000、1800円)という本を翻訳・出版した関友作さんから電話がかかってきた。

「向後さん、この本を読みました?」

はじめは何のことだかわからなかったのだが、話を聞いてみると、11/10の日記で書いた「態度の教育」、「ニーズ分析」、「二次方程式を使わない話」などの話題が、ことごとくこの本にも取り上げられていたので、もしかすると私がすでにこの本を読んでいるのではないか、と関さんは思ったらしい。しかし、それは偶然で、私はこの本の存在さえ知らなかった。

そして、関さんからあらためて本を贈っていただいた。ありがとうございます。

この本は、「たまたまコンピュータをまわりの人に教えることになった人のためのガイドブック」である。著者の専門は教授デザイン(instructional design)で、これは教育工学(instructional technology)の中のひとつの領域である。

この本では、教授デザインの理論をベースにして、コンピュータを教えることになった人のためにその「教え方」を説いている。しかし、コンピュータを教えるのに限らず、どんなことでも何かを教えるのにどうすればいいのかということに悩んでいる人に、たくさんのヒントと考え方を教えてくれる本である。

認知科学や教授デザインの分野では、多くの研究がなされてきている。認知科学者たちは、どのように頭がはたらくのか調べている。教授デザインの研究者は、こうした認知の原理を現実場面に応用する方法を考えている。認知科学と教授デザインの原理は、どのような内容を教える場合にも適用できる。宇宙物理であれ北欧の神話であれ、問題はない。

これをきっかけに教授デザインの本が翻訳されるようになるといいと思っている。アメリカの教授デザインのテキストはたくさん出版されているが、そのほとんどが日本にはまだ紹介されていないからだ。

はじめに、「何もかもを教えることはできない」という点を認識する必要がある。かりに、あなたには十分な時間や資金があり、いろんなことを教えられるとしても、学習者はそうではない。すべてを教えられないからこそ、最も重要なことを教えなければならない。また、何が重要かを考えれば、何が重要でないかもわかってくる。何を教えないかは、何を教えるかと同じくらい大事なことなのだ。

「何を教えないか」は本当に重要だ。それを意識しない人は、ついあれもこれもと欲張ってしまう。欲張りすぎて一貫性のない講義や、欲張りすぎて電話帳のようになったテキストは最悪だ。とりわけ、ある種オタッキーな講師はついつい自分の知識をひけらかすことに熱心だ。教師はたくさん教えたつもりでも、受講生の頭には何も残っていないことがよくある。

ペギー・スーの結婚」という映画では、大人になった主人公が高校時代にもどり、数学の授業を受けているシーンがある。二次方程式を説明しているときに、彼女が空想にふけっているので、先生がしかる。すると彼女は言う。「こんなこと、わたしは勉強しなくていい。だって、卒業したら二度と使わないから」。/先生が「これを覚えておけば、いつか役に立つよ」と言えば、子どもはうなずくかもしれない。しかし、大人はそれほど従順ではない。自分にしたいことがあるから、彼らはトレーニングに来ているのだ。それが実現できなければ、あなたがどんなに話がうまくて人を引きつける力があっても、彼らは満足しないだろう。

11/10の日記と偶然の一致を見た「二次方程式」の話。確かにそうだ。

教授・学習の過程を、あなたがしっかりとコントロールすることだ。これは一見、積極的な学習を妨害するように感じられるかもしれない。しかし、コントロールというのは、トレーニングから柔軟性をなくすことではない。学習には、枠組みとルールが必要である。また学習者は、「あなたが何を期待しているのか」、そして「あなたに何を期待できるのか」を知る必要がある。/トレーニングのコントロールとは、スケジュールを作って、無理のない範囲でそれを守ることだ。コンピュータ・トレーナーは、自分がシステムをよく知っているので、「その場で教えられるだろう」と思ってみたりする。しかし、それはあやまりである。/あなたの目標は、自分の教え方に型を作ることである。つまり、教育の内容と手順を熟知することにより、エネルギーの大半を、質問への対応や学習の支援に使えるようになることだ。

このことこそ、教授デザインの神髄だろう。よく、「学習者の自主性を尊重したいから」といって教室を自由放任のアナーキー状態にしても、それでよしとする人がいるけれども、それは明らかに間違っている。