KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

教育というのは記憶を変えること

6月9日に桃山学院大学(大阪)で開催される、大学教育学会での発表予稿原稿を書いている。

Educational Technology誌に掲載された、ロジャー・シャンクのインタビュー記事を読む。アンダーセン・コンサルティング社(現アクセンチュア)の社員教育コースで採用されたモデル「ゴールベースシナリオ」についてのインタビュー。

シャンクが「GBS=ゴールベースシナリオはどこから思いついた?」と聞かれて、

「記憶の研究からだ。記憶の研究が教育に関わりないなんておかしいだろう?」

「教育というのは、言ってしまえば、学習者の記憶を変えることなんだよ」

と語るのを読んで、少なからず感動している。なぜ感動かというと、教育ということについてのこれほど明快な定義は他にないから。学習者の記憶を変えるような教育がどれだけ行われていることだろう。授業が終わって30分もすれば内容がすべて忘れ去られてしまうような場合は「記憶が変わった」とは言えない。

認知の枠組みを変えるような教育はめったにない。「生きる力」もいいだろう。「主体性を育てる」もいいだろう。だが、そうなったことをどうやって証明する? 記憶、ひいては認知構造がまるで変わったということを示してくれるなら、私は納得するだろう。

もう一つ、シャンクのすごいところは、記憶の基礎研究を続けていながら、常にその意味を考えていること。記憶が教育(あるいは学習)に無関係なはずはないということは誰もが知っていることだけれども、ついつい忘れてしまうのだ。実験とその結果がもたらす意味(インプリケーション)について考える必要がある。実験結果を、安直に、もっともらしい常識にあてはめるのではなく、その意味するところをラディカルに考察すること。