人はなぜコンピューターを人間として扱うか―「メディアの等式」の心理学
- 作者: バイロンリーブス,クリフォードナス,Byron Reeves,Clifford Nass,細馬宏通
- 出版社/メーカー: 翔泳社
- 発売日: 2001/04
- メディア: 単行本
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リーブス、ナス「人はなぜコンピューターを人間として扱うか」(翔泳社、2001、2400円+)を読む。訳はEVちゃんこと細馬宏通さん。
この本は「メディアの等式理論」がさまざまな角度や場面で成立することを、実験によって検証したものだ。メディアの等式理論というのは、「メディア経験は人間経験に等しい」という仮説だ。つまり、メディアだからといって割り引いて考える必要もないし、メディアだけに対して起こる特別な考えや感情もない、という。それは対人間経験に等しい。
たとえば、パソコンに対して、人はある性格を感じとり、それが自分の性格に似ているからあるいは似ていないからといって、そのパソコンとうまくやったりそうでなかったりする。それは意識的な擬人化ではなく、ほぼ無意識に、自動的に起こる擬人化であるというところがポイントだ。「私はパソコンを人間扱いするなどばかばかしいことはしない」という人でさえ、それを自動的に行っている。
だから、「ニューステレビ」というラベルを付けたテレビで映されたニュースは、「娯楽テレビ」というラベルを付けたテレビで映されたものよりも、役に立ち、面白く、真剣だと判断される。ラベルを張り付けただけでだ。なんとシンプルな実験だろう。そして、強力な結果。この本に紹介されている実験では、このようにシンプルなものから、認知心理学の精緻化された方法や脳波など生理学的なものまで広くカバーされている。
教育工学の研究者には6章「メディアと形式」が興味深いだろう。画面を大きくすることで覚醒度があげられること。画質の良し悪しよりは、音質の良さがクリティカルに効いてくること。プレゼンテーションには(そしておそらく教材にも)動きと休止のリズムが重要であること(動きだけではそれを学習する時間がないこと)。など、ヒントになることがたくさんある。
訳はこなれていて、ときどき細馬節のはいった違和感のない日本語として、すいすいと読める。いい仕事をされたな、と思う。