KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

センター試験はいつまでこの形態か

明日はセンター試験だ。毎年、センター試験の日は雪だったりすることが多いのだけれども、明日は珍しく晴れそうだ。よかった。

私は1日目の試験監督に当たっている。ここ数年間は、2日間のうち、どちらか1日で試験監督が当たっている。富山に来た当初は、2日間とも監督をしなかった年があったような記憶があるけれども、それは例外だったようだ。まあ、10年以上おつきあいしてきたセンター試験の監督も今回で終わりなので、なんとなくほっとする。

私はセンター試験そのものは高く評価している。いろいろと悪口は言われるけれども、あれほどきっちりと妥当性を検証しているテストは、国内ではほかにない。しかし、いかんせん機械的だ。もちろん機械的にやるからいいのだということを認めた上で、もう少し何とかならないかと思う。

池田央さんの話などを聞くと、アメリカではすでにコンピュータを使って、個別に適応型テストを実施しているという。適応型テストというのは、受験生の出来具合にあわせて、問題の難易度を調整することによって、時間的コストをかけずにその人の実力を正確に測定するものだ。

試験には2種類の目的がある。センター試験のようなものはその人の実力を正確に測定することが第一だ。一方、授業の中間テストや最終テストには、測定の意味もあるけれども、それを目標にして勉強してもらうという意味合いが強い。測定の意味のテストであれば、最短の時間で正確に測ることが肝要だ。しかし、今のセンター試験は2日間にわたって行われているし、今後5教科7科目になると、3日間に渡ることが予想される。あまりにも人的・時間的コストが大きすぎる。測定であれば、受験生を疲弊させずに測ることが大切なのだ。

コンピュータを使った個別適応型テストなら、すべてを込みにしても1日で測定できるのではないだろうか。それは一人一人がコンピュータに向き合って問題を解くような、一見「機械的で非人間的な」光景かもしれないが、実際は受験生を疲れさせずに正確に測定する合理的なシステムになると思われる。

適応型テストにするには、問題をアイテムバンクにためて、非公開にしなければならない。アメリカでは実際そうしている。しかし、日本では問題を公開しているので、毎年新しい問題を開発しなければならない。ときどき新聞でも、過去と同じ問題が出されたということがニュースになっている。それは御法度だ。しかし、実は、過去と同じ問題が出されても、それが非公開になっていればまったく問題はないのだ。

問題を公開すると、新しい問題を作らなければならないので、しまいにはネタ切れになるか、やたら細かいところをつつく問題しかできなくなる。それは悪問と呼ばれる。予備校に問題作成を依頼する大学も出てきている。それは、問題を公開し続けてきたことによって、いよいよネタ切れの最終段階に来たのだということを示しているように見える。予備校に依頼しても、ネタ切れまでの時間をいくらか延ばすだけであって、根本的な解決になっていないことに注意すべきだ。

センター試験はいつまで、この形態で続けられるだろうか。