KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

福澤一吉『議論のレッスン』

議論のレッスン (生活人新書)

議論のレッスン (生活人新書)

福澤一吉『議論のレッスン』(NHK出版・生活人新書, 2002, 680円)を読む。

この本の中心は、Toulmin(トゥールミン)の議論モデル(1958)を中心に、具体例を交えて丁寧に紹介している。そのモデルの骨組みだけを言うとこうなる。

主張(claim)は、根拠(data)の提示(とそこからのジャンプ)によってなされ、その間をつなぐものが論拠・理由付け(warrant)である。主張、根拠、論拠が議論の主役であり、さらに、論拠を支持するものとして裏付け(backing)、論拠の確かさを示すものとして限定語(qualifier)、論拠の効力の保留条件として反証(rebuttal)がある。

私はToulminのモデルを、R.E. Hornの『ハイパーテキスト情報整理学』(日経BP, 1991)で知って、『自己表現力の教室』(2000)の中や、Web教材で紹介したけれども、かなり不完全だった。『議論のレッスン』ではこのモデルを詳細に紹介している。このモデルを身につければ、議論やディベート、さらには論理性が必要とされる論文やエッセイの執筆にきっと役に立つだろう。

実は、『自己表現力の教室』を読んだ人から、「あそこで紹介されていたのはToulminのモデルだ」ということを教えていただいて、その人とToulminモデルを中核にした文章作成法の本を書こうという企画をしていた。それはともかく、福澤さんの本が出たことでToulminモデルが広く知られることになるだろうと期待している。アメリカの大学・大学院ではToulminのモデルは広く教えられているということだ。こうした議論の組み立て方についての共通認識があるということは、強いことだと思う。

議論の組み立て方について考えると、その発展として「実証とは何か」というところまで行く。とりわけ、この本でも取り上げられている「データは論拠に依存している」という点は重要だ。たとえば「本人が自白した」というデータ(事実)によって、「彼は犯罪者だ」という主張と、「彼は無実だ」という主張の、まったく正反対な主張ができる。前者の論拠は「自白には信憑性がある」ということであり、後者の論拠は「自白は強要されたものだ」ということになる。そしてどちらの論拠もこの段階では「仮説」なのである。

最近、ポスト実証主義について考える機会があったので、Toulminモデルからこれを眺めてみるのもおもしろいかもしれない。