研究のお手伝いで、高校の化学の授業をビデオで見た。私にしては珍しいことだ。
研究のターゲットになっているので、授業構成もよく練ってあり、実験機材もばっちり、おまけにCGを駆使したデジタル教材も必要に応じて提示する。さすがにすばらしい授業だった。しかし、なによりもそれを運営した先生の力量というのが否応なく感じられた。
先生主導で生徒を何十人か教室に集めて行う形態の授業としては、ここらへんが頂点かなという感じをもった。もちろん討論中心の授業とか、仮説実験授業とかバリエーションはあるけれども、それにしても頂点に並ぶ授業というのはこんな感じなのではないだろうか。
と同時に、この形態では、これ以上の発展はないということも確信している。だからインストラクショナル・デザインという名前で研究しているわけだが。
それにしても、あと十年くらいは学校はこの形態を維持していくだろうから、それを見込んだ戦略が必要だ。それはおそらく簡単なことで、このようにすばらしい授業をする先生を「授業マイスター」として登録すればいい。そして、新任の先生をマイスターに弟子入りさせるという形で継承・拡大させていくのだ。
新任でなくても授業の極意を身につけたい先生は弟子入りすることができる。しかし弟子入りしたら、三年か五年はマイスターの助手(生徒の手前では弟子というのはまずいから)として、すべての授業を手伝うようにする。そうして授業マイスターのワザを盗み取っていくのだ。状況的学習論の成果である。
百人の教員のうち、一人か二人はマイスター級だろうから、文部省は積極的に発掘して、称号を与え、別格扱いとする。そうするとマイスターになろうとして、研鑽するから授業の底上げも起こってくるはずだ。
どうしてこんな簡単なことを思いつかなかったのか。今度の科研で申請してみるか。
それにしても、あと十年くらいは学校はこの形態を維持していくだろうから、それを見込んだ戦略が必要だ。それはおそらく簡単なことで、このようにすばらしい授業をする先生を「授業マイスター」として登録すればいい。そして、新任の先生をマイスターに弟子入りさせるという形で継承・拡大させていくのだ。
新任でなくても授業の極意を身につけたい先生は弟子入りすることができる。しかし弟子入りしたら、三年か五年はマイスターの助手(生徒の手前では弟子というのはまずいから)として、すべての授業を手伝うようにする。そうして授業マイスターのワザを盗み取っていくのだ。状況的学習論の成果である。
もしかして、中教審の委員に中には私の日記の愛読者がいるのかもね? OK。こんなふうにしてアイデアが実現されるなら、大歓迎だ。