KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

家は仮説だ

まだ2月だ。1日得した気分。

「引っ越しして家具を置く前に、床にワックスを掛けておいてもらえるとうれしいな」と妻からいわれていたので、ワックスがけをする。いっぺんにやるのは、もったいないので今日は二階だけ。うーん美しい。

人が生活していないと家は美しい。でも、人が生活し始めると、ごちゃごちゃといろいろなものがはいってきて、美しさを保つのには努力がいる。でもそれでいいのだ。人のいない家は、机上の空論、データのない理論だ。人が暮らし始めると、その理論に命が吹き込まれる。だけど、その生活は理論通りには、いかない。ちゃんと計ったはずなのに、実際にはそうなっていなかったりする。

家は仮説だ。こんなふうに暮らしたらいいんじゃないか、という仮説を提供している。Aという仮説とBという仮説は、どちらが暮らしやすいかというデータによって対決する。でも、白黒がはっきりとつけられることはない。AもBも一長一短があるから。リビングを犠牲にしてキッチンを広くしたとか、部屋を削って、庭を広くしたとか、トレードオフがある。それに、住んでいる人がいろいろ工夫すれば、いくらでも住みやすくなったりする。古い理論でも手入れをすれば、使いやすくて役に立つ理論になる。

そんなことを考えると、どんな家が一番いいか、あるいはどの理論が一番いいかというようなことは無意味な問いに見える。そうではなくて、その家に住んでいる人はどんなふうに住んでいるのか、幸せなのか、不幸なのか、どんな工夫をしているのか、していないのか、ということだけが私たちが判断できる唯一のことではないかと思えてくるのだ。