KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

「そそのかし」へのデザイン

6/17の鈴木克明さんの特別講義の、私にとってのキモは次の部分だ。スライドから引用する:

教師の仕事は、生徒を学ぶ気にさせること
ゴールを掲げ、あとは生徒が学びやすい環境を整備する

大学教授がしゃべらなければ、学生は自分で学ぶ
教授は学生をそそのかし、魅力的な課題を出す
評価基準を事前に示し、やるかやらないかは任せる

自己管理学習(self-directed learning)の阻害要因は
教師がコントロールし、教師に依存させる構造である

これらの主張については、まったく同感だ。教員という仕事は、自分が勉強するのではなくて、他人に勉強させること、学ぼうという気にさせることなのだ。誰からにあることを教えようとすると、必然的に自分で勉強しなくてはならないので、教師は常に学んでいるわけだが、実はそれは前提条件なのであって、それだけではまったく不十分だ。ところが、教えるために勉強することによってかなりの充実感が生まれるので、それで大部分の仕事が済んだというふうに錯覚しやすいのである。

とはいえ、「教員がしゃべらなければ学生は自分で学び出すか」といえば、大多数の学生にはあてはまらない。アナーキーな状態になるのがオチである(学級崩壊を見よ)。自発的に学び出すために、教員が彼らを「そそのかす」ことが仕事になる。しかし、課題が十分魅力的でなければ、「そそのかし」は空振りに終わる。また、教員への信頼感がなければ、「そそのかし」にも乗ってこないはずだ。つまり、「そそのかし」に至るまでがデザインされていなければならない。

自己管理学習を身につけさせる、ということには自己矛盾をはらんでいる。それは「自主性を育てる」と同じ構造だ。教師がコントロールすることで、教師に依存させる副作用を生むというが、それはおそらく少数だ。大多数は、そのコントロールから逃れようとするはず。「誰かを完全にコントロールできるというなら、やってごらん」と私が言うのはそのことだ。相手が意志を持った人間である限り、それは不可能だ。そして、コントロールしているはずの自分もまた相手によってコントロールされていることに気がつく。強化随伴性は相互作用的に働く。

とすれば、自己管理学習(あるいは自己制御学習, self-regulated learning:この2つは並行して使われているようだ)能力を高めるにはどうしたらよいか。スタートでゴールの明示をしたあとは、しばらく他者(教員)による制御から始めなくてはならないだろう。その間に、良い人間関係と信頼を築くことができたなら、次の「そそのかし」の段階にはいることができる。つまり、この、スタートから他者制御、信頼構築、そして「そそのかし」に至る初期段階のデザインにこそ細心の注意を払わなければならない。ひょっとすると新しい時代のIDのキモはここになるのではないか。