KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

【学ぶこと】レッスン/ゲームモデルの意味

2023年6月15日(木)

テニスの話。月曜と金曜はマーチンのレッスン。そして、火曜と木曜はシングルスのゲームをしている。水曜日は会議の有無によってシングルスをしたりしなかったりする。これが1週間のテニスのルーチンで、週に4-5回テニスとをしていることになる。

このパターンを振り返ってみる。月・金のレッスンでは「オレは掴んだ! めちゃくちゃうまくなった。これでゲームで勝てる!」という感じで終わる。実際そんな感じで、実はレッスンをしているコーチがうまいという話なのだが、その感じはゲームをしてみると打ち砕かれる。

火・木にシングルスの試合をしてみると、レッスンで「掴んだ」と思っていたことがことごとくできていないということに気づかされる。レッスンではあんなにうまくいっていたことが、実戦ではできない。なぜだ?なぜだ?なぜだ? 頭がぐるぐる回って、今までできていたことまで失敗するようになる。がっくりしてゲームを終わる。

これこそが、レッスン/ゲームモデルの真の意味ということになる。

レッスンはデザインされているし、教える人もうまい。だから、その中で自分が上達したという感覚を持つのは当然なのだ。ちなみに、その感覚を持たせられないレッスンする指導者は失格というか論外ということになる。レッスンで上達したという感覚は実はまやかしというか幻覚だ。だから指導者は魔術師と呼んだ方がいい。

そのまやかしの感覚は現場での実戦で打ち砕かれる。それは必ずそうなる。なぜなら現場での実践は、粗野であり、きれいにデザインされていないし、個性ある人々が偶然的に関わってくるからである。それを現場と呼ぶのである。レッスンで習ったようにはうまくいかない。自信を失う。自信を失うことがゲームの意味ということになる。

その失意を胸に抱きながら、「自分はまだまだだ」ということをかみしめつつ、レッスンに戻ってくる。そしてさらに真剣にレッスンに取り組む。このサイクルがレッスン/ゲームモデルの真の意味ということになる。