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【本】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』まとめ(2)

2023年8月31日(木)

國分功一郎『暇と退屈の倫理学』(新潮文庫, 2021)のまとめ。4〜6章まで。

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第4章 暇と退屈の疎外論

必要なものが必要な分しかない状態では人は豊かさを感じられない。必要を超えた支出があって初めて人は豊かさを感じられる。これを「浪費」と呼ぶ。浪費はいつかストップする。

対して「消費」はモノではなく観念や意味を消費する。これはストップしない。消費によって個性を追い求めても満足することはない。つまり消費は常に失敗するようにしむけられている。ボードリヤールは、消費社会は逆にモノがなさすぎる、生産者の事情でしかモノが出回らないからと言った。

労働すらも「忙しさ」という価値を消費する行為になっている。

狩猟採集民族は困窮していない。何も持たないからこそ自由なのだ。貯蓄しないのは未来を思いわずらう必要がないから。

第5章 暇と退屈の哲学

ハイデッガーの退屈の3つの形式:

・第1形式:何かによって退屈させられること。たとえば、次の列車まで1時間待たなければならないこと。ぐずつく時間によって引き留められている。その時間に適合していない。気晴らしになるようなことを探している。やるべきことがないと虚しい状態に放っておかれる。それは耐えられない。だから仕事を探す。

・第2形式:何かに際して退屈すること。たとえば、意味のないパーティ。パーティそのものが暇つぶしなのだが、周囲に調子を合わせることを投げやりに行う。自分自身が空虚になる。暇ではないが退屈している。退屈を払いのける気晴らしそのものが退屈になっている。

・第3形式:「なんとなく退屈だ」。これは自由だということ。

第6章 暇と退屈の人間学

ハイデッガー:岩の上でひなたぼっこをするトカゲについて考える。トカゲは岩を岩として経験できない。岩はひなたぼっこをするための台にすぎない。トカゲはトカゲなりの仕方でしか世界と関係を持てない。これを「世界貧乏(ひんぼう)的」と呼ぶ。一方で人間は「世界生成的」。

ユクスキュルの「環世界 (Umwelt)」の考え方。すべての生物は別々の時間と空間を生きている。森のダニの例。時間とは瞬間の連なりである。瞬間とは人にとっては1/18秒(56ms)である。それより短い視覚、聴覚、触覚の変化は知覚できない。映画は1/24秒間隔。魚のベタの瞬間は1/30秒。カタツムリの瞬間は1/3秒。

人間もまたそれぞれの関心に基づいて岩を経験する。鉱物学者はその石ころを熱心に眺め、分類する。人間は他の動物に比べて、高い「環世界移動能力」を持っている。これは1つの間世界に浸っていることができず、退屈することがありうるということ。