KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

【考え】自分の考えを文字にすることの意味

2024年4月25日(木)

こうして、毎朝少しの文章を書いている。最近の生成AIの動向はどうなのだろうか。私はすっかり興味を失ってしまっている。文章を書くのが苦手だという人がいることはわかっている。しかし、自分の考えを文字にするという、苦しくも楽しい行為をAIに譲ってしまうのはもったいないことだと思う。

自分の代わりにボールを打ってくれるテニスロボットがいたとして、それを操縦してテニスをすることに何の楽しみがあるのだろうか。私が「eスポーツ」に懐疑的なのはこの感覚による。映画『レディプレイヤー1』は映画としては最高に面白かったけれども、ゴーグルをつけて仮想空間で体を動かしても虚しいのは変わらない。

スポーツでも登山でも、それは自然環境における物理法則と身体との格闘なのだ。だから面白い。体を限界まで動かして、初めて自分の体の仕組みがわかる。ああ、こんなふうにも体を動かせるんだという発見がスポーツをやる意味なのである。それはゲームコントローラーを操作するのとは本質的な違いがある。

文章を書くのは、書いてみて初めて自分の脳の働きを確認できるからである。書くという行為は、制約された言語空間の中での脳の格闘なのである。自分が思いもよらないことを書いているということに驚くとき、初めて書くことの意味がわかる。書かなければ自分の脳の働きを意識することはできない。書かない人間は考えない人間である。それはロボットにほぼ等しい。