KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

1997年を振り返って

 1997年も残すところあと一週間をきった。この年を振り返って書いてみたい。今年もあらかじめの年賀状は出さない。一月には子どもも生まれているはずなので、その知らせで年始のあいさつを兼ねるつもりだ。それで、インターネットが使える人には、この文章をもって、年賀状の代わりとしたい。

院生のおかげ

 今年がすばらしい年であったのは大学院生のおかげによるところが大きい。石井君と浦崎さんの二人だ。ひとつは、ほとんどすべての授業に出てくれて、手伝ってくれたこと。もう一つは、四年生、三年生のゼミ生に適切なアドバイスと指示をしてくれたことだ。

 院生が授業を手伝ってくれたことで、私の授業は、自分一人でやるよりも二倍は良くなったのではないかと感じている。特に、言語表現、統計学認知科学の授業はこれまでのどの授業よりも良くなった。それは単に、院生が人手として手伝ったからというのではなく、彼らがはいることによって授業の設計というか骨組みがしっかり構成される効果があるのだ。また、より学生に近い助言者として、先生とは違う形でよい介入がなされる。

 院生の役割は研究的にみても興味深いものなのだが、ここでは単なるティーチングアシスタントとは違うものがある、ということだけ指摘しておこう。つまり、授業者に対する影響力を見逃してはならないということだ。おそらくこれ以降、私は自分一人で授業をしようという気はないだろう。院生やゼミ生に手伝ってもらうことによってよりよい授業が作れるということを実感してしまったからだ。

 いつもならば年末は卒論生の指導で、はちゃめちゃになっているところであるが、今年に限っては本当に楽だ。それは院生が卒論生の面倒を見てくれたからである。一時は卒論生の指導にほとんどさじを投げた私であるが、そんな私をみかねたかどうかは知らないが、院生が本当に良く卒論生を助けてくれたと思う。おかけで、実験も年内に終わり、無事年が越せる。

アウトプット

 去年の抱負に、研究のアウトプットをきちんと出していきたいと書いた。それも実行に移せたと思う。

 論文を書くということは、本や雑誌の記事を書くということとは違い、制約もきついし、書いていくうちに本当におもしろい部分を削らざるを得ないということがあって、つらくて苦しい作業だ。しかし、いずれにしても書いていかなければダメだということがわかってきた。たくさん書かなければ、いいもの、おもしろいもの、すごいものは書けない。一発勝負の世界ではないのだ。コンスタントに研究を続け、それをコンスタントに書いていくことだけが、この世界での正しい仕事の仕方だ。それがわかってきた。

 今年のハイライトは、智子と書いた、教科書の説明図についてのショートレター論文、ぎょうせいからでた『高度情報社会の中の学校』いう本の一章、有斐閣からでた『ケースブック大学授業の技法』に書いたいくつかの記事といったところか。ぎょうせいの仕事も有斐閣の仕事も東工大の赤堀先生の引き立てによるものだ。ありがたい。また、昔書いた留守番電話の記事が中学校国語の教科書に採用されたというのもうれしいニュースであった。大学院生の研究発表も順調に出ているので、これもうれしいことだ。

忙しくない生活

 忙しさは、現代の病である。私たちはついそれに巻き込まれ、自分が忙しいことでかすかな充実感と自己存在証明を得ようとする。大いなる誤解である。忙し病から抜け出るためには、仕事を切ることである。この仕事は自分でなければできない仕事かどうかを冷静に判断し、他の人でもできるものであれば、回すことだ。回した仕事によってその人が活きるという効果もある。忙し病の根元は、なんでも自分でやらなければ気がすまないさもしさにある。それで最後には自分が窒息してしまう。

 土日は完全に仕事を離れることにした。週に一回はスポーツをすることにした。というよりも、スポーツをすることを仕事の一部と考えることにした。あるアメリカのビジネス書に「運動をしなくていい時間などない」と書いてあった。そのとおり、健康な体でいることは仕事の一部なのである。

 ということで、今年も無事終わりそうである。すべての人々に感謝して、来年につなげたい。ご愛読ありがとうございました。