KogoLab Research & Review

遊ぶように生きる。Vivi kiel Ludi.

宮沢章夫さんの日記と発話プロトコル

 宮沢章夫さんが「コンピュータで書くということ」という日記を書いている。この日記はすごい。どこがすごいかというと、たまたま今日の日記で彼が書いているように、

■とここまで書いたところで、ひどく眠い。
■これ、アップできるだろうか。
■あと、ぼーっとした頭で書いているから、あとで読み返すと、デタラメかも知れないが、実はさっき、睡眠薬を一グラム飲んでしまったので、いま、ちょっとした、酩酊状態である。いかんな、こんなことをしていては。ただ、そういった状態で書く文章も面白いと思うのだ。
■いかん、もう限界である。
■ぎりぎりまで、書いてやろうじゃないか。
■ぼーっとしてきた。身体が宙に浮く感じだ。何を書いているのか、もうほとんどわからないが、いつになくものすごいスピードなのはどうしたことか。
■まるで自動筆記である。

 という具合に、ほとんど頭に浮かんだことを逐一そのまま書いているような日記なのである。

 心理学に「発話プロトコル」という実験手法がある。それはパズルなどをやらせながら、「今頭に浮かんでいることをそのまま声に出して下さい」という無理矢理な注文をして、その発話をデータとして人間の思考過程を推測しようというものだ。被験者にとってはこれはなかなか難しいことだ。パズルに熱中するうちに、自然と声に出すことを忘れてしまうので、実験者に「声に出して下さいね」ととがめられたりする。思っていることを全部言葉にするというのはけっこう至難の業である。

 日記の書き方で、フロー・ライティングという、思いつくままをそのまま書く方法があるが、これに近い。しかし、宮沢さんの日記は一日の流れにしたがって書かれているので、むしろ「長時間プロトコル」とでも呼べるかもしれない。

 フロー・ライティングにしても、たいていは一日のある時間帯を使って、その時間に考えをめぐらせ、記憶をたぐって書く。この日記もそうである。ネタ帳を手かがりにすることはあっても基本的には一定の時間内に書き上げるものだ。一方、宮沢さんの日記は、「コンピュータで書く」という名付けられていることからも想像できるように、いつでも手元にコンピュータがあって、出来事があったり、考えが浮かんだりするとすぐそのまま日記のファイルに書き込んでいると思われる。

 宮沢さんの日記はちょっと実験的で面白い。それで時々読ませてもらっている。